この映画がはじめてメディアの目にさらされたのは、聖火が天安門にたどりつくその日でした。
これが、そのドラマティックな映画のような一部始終を伝える、ものすごーいニュージーランド・ヘラルドのレポートです。
2008年8月10日
By Paul Lewis
北京のGホテルはまた過去のホテルとなったー中国公安局によって封じられた。
たぶん、ゲームの間だけ、あるいは永久に。
立派な罪に問われたのだ、なぜならホテルの部屋がフリー・チベットの抗議活動に使われたのだから。
このホテルの突然の閉鎖は、中国の人やビジネスマンが今日でも綱渡りのような生活をしていることを意味し、独創性があって、密かに生きる反体制派は「失踪する」ことを避けなくてはならない状況を表している。
労働者スタジアムのそばのこの新しいホテルは灰色がかった紫色にペイントされている ー スタジアムの人気エリアへの型破りな新参者だ。ホテルのスタッフは、6階の部屋で抗議活動者たちの集会があることはまったく知らなかった。彼らはジャーナリストたちが部屋へ行こうとするのを止めるのに死にものぐるいな、罪なき傍観者だった。
そんなことは関係ない。ホテルはもう閉鎖されたし、ホテルの観光客は移動した。中国の正義がものを言ったのだ。
ホテルとそのスタッフたちは、新しい形の抗議活動に巻き込まれた。オープンに抗議活動をするなら、強制送還、拘束、あるいは労働刑務所での再教育をリスクすることになるオリンピック一色の北京では、それが必要だったのだ。だから、彼らはホテルの部屋で抗議活動をした、秘密裏に。
ホテルの部屋には6人のジャーナリストたちがいた。抗議活動は控えめで、フリー・チベット・ビデオが流された。だが、ホテルのマネージャーがドアを絶望的に叩いていた。
外では、道に黒い窓がはられた黒い車が待っていて、丸刈りで、スパイのような運転手が見張っている。
ここはまだ警察国家で、ホテルにいた全員は中国当局の圧力の重みを感じていた。
フリー・チベット活動の抗議活動者は、オリンピック聖火が最後の地点の一つである天安門広場を通過するその日を選び、この行動に踏み出た。
活動家たちはホテルにチェックインし、抗議活動の準備をして、その時間、場所、部屋番号をメディアに秘密裏に伝えた。北京のトレーダーズ・ホテルの417号室で行われた先の抗議活動と同じように。
活動家たちから伝わったコード化されたメッセージに対応し、ジャーナリストたちはホテルに入り、エレベーターに乗って、作戦にいわれた場所に部屋の鍵がはりつけてあったのを見つけた。
彼らは部屋に入り、ホテルの壁にかけてある大きな壁画を見た。北京オリンピックのシンボルとスローガン、一つの世界、一つの夢のパロディーを見た。
壁画には「我々の夢、我々の悪夢」とあった。
壁画のそこかしこには、様々な名前が書かれていた。宗教的な反体制派、仕事のせいで投獄されたジャーナリストたち、チベット支援家たち。
壁画からそう遠くないところにおかれたイスには、頭に黒いフードをかぶせられ、血の痕跡がついたシャツを着た人形が座っていた。
Gホテルでの抗議活動のため、活動家たちは秘密裏にその情報をコード化して拡げた。我々は、住所と部屋番号を知らせるテクスト・メッセージがくる間、待っていた。我々は中国当局が憎悪するような抗議活動がある、という以外はどこに行くかもまったく知らなかった。ここは、天安門広場に行きたいジャーナリストでさえ許可を申請しないといけないような国なのだ。
メッセージがきて、私たちはホテルへ向かった。その間、我々はタクシーの後ろにある盗聴器の話は本当か、そしてオリンピックのメインのプレス・センターや他の場所で、どれくらいの電話、携帯電話、Eメールなどが監視されているのか、などと憶測していた。
我々が到着したとき、不穏な感じがした。まずは、いくつかの黒い窓が貼られた黒い車だ。これはもしかすると当局がこの抗議活動のことを聞きつけているという意味だ。これは良くない状況だったが、とりあえずホテルへと向かった。
そして、また悪いシグナルが。活動家たちはどちらかというと、このマーケティングを用意周到にしすぎた。ロビーに着いたとたん、他のジャーナリストたちが着き、ロビーが混雑しだした。静かな侵入となるはずが、メディアの束となったのだ。
ホテルのゲスト・マネージャーのヨーローッパの女性がグループを妨害しようとわり込み、我々が入ろうとするエレベーターを先にブロックした。彼女は我々がどこに訪ねたいか知りたがっている。彼女にその名前を言ったが、まだ我々をブロックしていた。
中国では、もしホテルを訪ねたら、サインをして、ホテルの公式許可書をもらい、その全ての名前が公安局を通らなくてはならない。もし登録しなければ、ホテルに入るのは不法なのだ。
一組のグループがすりぬけて、階段を登り部屋へ向かった。部屋で彼は、他の5つのグループがビデオを見たり、チベット活動家たちが、オリンピック・ゲーム中のアクションを扇動しているのを見つけた。抗議活動の指導者はフランス人のようだった。
下の階では、例の黒い車のたくましい運転手がホテルに入ろうと決断したところだ。
彼がスパイであるかどうかはわからないが、彼は群衆を通り抜け、一生懸命顔を確認しながら、表面上はトイレに行こうとした。彼はボスがホテル内のミーティングに参加しているのを待っている運転手であるだけかもしれなかった。だが、無線を使っていて、役人のように見えた。ホテルのスタッフはエレベーターと階段をブロックし、我々が部屋へ行こうとするのを止めていた。
上に行くことのできたジャーナリスト(彼は中国に住んでいるからその身分は保護する)はヘラルドに日曜日に以下の出来事を話した。ビデオが流されて少したって、ホテルのマネージャーが中の人間が弱腰になるまでドアをたたき続けた。
「まったく」マネージャーは言った。「お願いですから部屋をでて、去ってください。写真をとるのはやめてください。」
「お願いだからホテルに働く全員のことを考えてください。あなたたちはとんでもない問題を私たちになすりつけたのです。このせいで、仕事をなくすこともあるかもしれないのです。このホテルには公安局がいるのですから」
それで全てが終わった。管理された抗議活動とその終わり、たぶん、ちょっとした脅しがあったし、ホテルのスタッフの絶望感が作用した。
これは政府の政策に賛成せず、その相違を口にする人々やそれに巻き込まれた人々の利害関係を十分に描いている。
我々が去ろうとして、4人の抗議活動者たちが天安門広場への注目を利用して、北京オリンピックの目玉のバーズ・ネスト(鳥の巣)の横に巨大な抗議バナーをかけたというニュースを聞いた。
二人の英国人を含んだ全員が拘束された。
我々が自由社会にいるのではないということを忘れている場合にそなえて、Gホテルの活動家たちはこの抗議活動を支持して、写真を送るよう約束した。
Eメールはブロックされていた。
Gホテルは次の日、完全に閉鎖された。
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映画「ジグデル」について(leaving fear behindウェブサイトの日本語プレスリリースより)
チベット人の本当の感情を密かに撮影した映画が6日正 午、北京で世界のメディア向けに公開される。 第24回オリンピック大会が開催される北京で6日、チベットで密かに撮影され3月の チベットにおける蜂起直前に国外に持ち出された前例のない映画が世界のメディアに公開される。
「恐怖を後にして(Leaving Fear Behind)」と題された25分の記録映画は、勇敢なチベット人映画制作者によって撮影され、中国の支配、5輪大会との関係、その象徴す るもの、ダライラマの帰国などについてのチベット人の気持を撮っている。 チベット東部出身のドンダップ・ワンチェンさん(農民)と友人のゴログ・ジグメ(僧侶)さんは映画制作独習し、3つのテーマでチベット人の日常を35時間以上にわたってインタビューした。3つのテーマは中国のチベット支配、北京5輪大会、ダライラマで ある。
この映画制作者たちは300ドルのビデオカメラを手にして、それ以外はほとんど費用をかけずにオートバイでチベット東部の遠隔地やチベット平原へ出かけた。当初から彼ら の目的はチベット人の声を北京五輪に伝えることだった。ドンダップ・ワンチェンさんは 「チベット人が北京に行って発言するのは難しい。それでチベットにいるチベット人の本当の思いを映画を通じて表現しようと決めた」と語っている。
2007年10月から2008年3月までの間に100以上のインタビューが撮影された。農民、ビジネスマン、学生、遊牧民、僧侶、青年から年配者まであらゆる経歴のチベット人の思いが記録されている。彼らの自然な応答は簡潔にまた雄弁に抑圧と差別によって特徴付けられた日常生活を語っている。
インタビューからの引用
- 「5輪大会が開かれるのは実のところうれしいがほとんどが誤って伝えられている。中国は中国とチベットの状況を改善するという条件の下で5輪開催を認められたのだ」。
- 「外部の人はチベット人が厚遇され幸せであると考えるかもしれない。しかしチベット人は自分たちの苦難を自由に話せないと言うのが真実だ」。
- 「チベットではチベット人1人に対し10人から15人の中国人がいる。チベットのいたるところに中国人がいる」。
- 「この発言をダライラマに伝えるために自らの命を犠牲にしなければならないとしたら、喜んでそれを受け入れる」。
この映画に登場する20人は非常な危険を冒して自分の顔が写るのを承諾している。ドンダップ・ワンチェンさんは「インタビューした何人かは絶対に顔を映すようにと主張し、そうでなければ話さないと言った」と語り、北京のチベットに関する発言に強く反発したことを明らかにしている。
ドンダップ・ワンチェンさんはこの危険な映画制作の過程で別名のジグメで恐れ知らず)を名乗った。
この別名と計画に参加した人たちの勇敢さに基づいて映画の題名は「ジグドレル」となった。恐怖を後にしてという意味である。 この映画を国外に送り出した直後にドンダップ・ワンチェンさんとゴログ・ジグメさんは逮捕された。
かれらは今日まで拘留されている。ドンダップ・ワンチェンさんは青海省西寧のグワンション・ホテルに拘留されているのを目撃されたのが最後である。
ゴログ・ ジグメさんは甘粛省臨夏の拘留センターにいるのを目撃されている。 この映画はスイスに送られそこでワンチェンさんのいとこであるジャリジョン・ツェト リンさんによって仕上げられた。ツェトリンさんは2002年にチベットから逃げ出し、 この映画制作のため「チベットのための映画制作」を立ち上げた。 詳細とオンラインで映画を見るためにはwww.leavingfearbehind.comを参照。
中国国内からウェブサイトにアクセスするには中国政府の検閲を迂回するためのツールが必要である。 VPNもしくは訪れるウェブサイトの監視を妨害するソフト、もしくはコンテンツフィルタリング・システムをバイパスするオープンソース・ウェブプロキシーであるPsiフォンなどが推奨される。
▽問い合わせ先
編集者注意: Email inquiries: info@leavingfearbehind.com
Web site: http://www.leavingfearbehind.com
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「ジグデル」のフィルムメイカー再逮捕
ゴログ・ジグメ
写真:leavingfearbehind.com
ダラムサラ、3月18日 Phayulより
中国当局は、あるチベット人を、中国のチベット支配を非難する映画を作る手伝いをしたとして再逮捕した。
ラブラン僧院の僧侶であるジグメは、初め2008年3月23日に逮捕され、2008年10月15日に釈放された。ジグメは北京オリンピックのときに、中国の悪い評判を拡げた映画「Leaving Fear Behind (ジグデル)」を作ったドゥンドップ・ワンチェンの映画製作を助けた。
チベット人権民主センターは、情報筋は当局から今回のジグメの再逮捕に関して、何の説明も受けていないと言った。情報筋はダラムサラでチベットの人権状況をモニターするNGOであるチベット人権民主センターに、彼に関する情報は何もない、と言ったという。
ドンドゥップ・ワンチェンは去年の3月23日に逮捕され、現在は特定不可能な場所に拘束されている。
ドンドゥップは、彼の映画のウェブサイトで、こう言っている。「さいきん、中国はチベットの文化や言語の保持を向上している、と宣言している。これが世界に向かって彼らが言っていることだ。沢山の組織やオフィスがこのために用意された。彼らが言っていることとやっていることは正反対だ。もし、本当にチベットの文化と言語を保持し、向上させたいなら、チベットに住む中国人を
退去させるべきだ。チベットの文化や言語はチベットで実際に継承し、使用されるべきだ。もしそうでないなら、どうやって保持できるのだ?」
ドゥンドップ・ワンチェン 写真:leaving fear behind.com
2 件のコメント:
詳しい解説を、ありがとうございます。ジグメさん違いでお二人を混同してしまい、大変失礼しました。MLの方にも訂正メールを出しておきました。
アピールのハガキ文には「ジグメ・グリ氏を含むラプラン僧院のすべての僧侶を……」ということで、アピールには皆さん含まれていると考えていいですよね。あるいは、フルネーム部分のお名前を変えて複数枚出してもいいかなとも考えています。
アピール文はラブラン僧院のジグメ・グリ氏を含む、全てのチベットの政治囚を…」としましたが、フルネーム分の名前を変えて出すのは、素晴らしいと思います!
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