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    2009年3月17日火曜日

    アムドはラブラン寺のジグメ・グリのこと

    昨日現在の政治囚について調べていたら、あるチベット僧の記事にぶつかった。
    ソースはこのブログ:High Peak Pure Earth
    (チベット語や中国語で書かれたチベットに関する鋭い記事やブログを英語に訳している、有益な情報が沢山あるブログ)



    ジグメの記事
     VOA: Video Testimony of Labrang monk Jigme
    Labrang monk, Jigme, arrested

    ジグメ・グリのこと

    ジグメ・グリ(ジグメ・ギャツォとしても知られる)42歳は、アムド地方(甘粛省)のラブラン寺の僧侶である。彼は、ラブラン寺の僧侶たちによる2008年3月14日の大きな抗議活動には参加していなかったが、3月22日に中国当局が僧院を捜査した際、任意的に拘束された。彼は拘束中、ひどい暴行を加えられた。釈放され、2ヶ月入院したあと、素晴らしく勇敢なビデオ声明をボイス・オブ・アメリカに出した。そのビデオ声明で、彼は顔を出し、自分の本名を使った。ビデオ声明は2008年9月3日にボイス・オブ・アメリカで放送され、その中でジグメが体験したひどい拷問や、虐待の数々や、中国当局の破壊的なチベット政策、そしてチベット問題の解決策の可能性を語っている。この後、僧院に戻る前に彼は身を隠したが、後日11月4日に再度拘束された。
    彼は現在 蘭州の特定不可能な場所に拘束されている。

    このビデオはVOAのチベット語放送でアムドの言葉をジグメがしゃべる為に、ラサ語の字幕をつけて流しているが、このブログポストをした人が長大な英語訳を下にのせいていた。ちなみに20分のビデオを英語訳に落とすって、並大抵のことじゃない。この声明文を読んでチベット人の友達に聞かせていたら、泣いてもなんにもならないと分かりながら、わたしたちは涙と鼻水が止まらず、怒りとやるせなさで胸がいっぱいになった。

    何人も、何人も、同じ思いをしている人がいて、そういう元囚人たちに会ってきた。だけれど、中国当局の本当に汚いチベット人への差別や投獄、拷問方法の話を聞くたびに、経済問題やなんやかんや言って、人の命や人権問題を腫れ物をさわるみたいに扱う世界中の指導者たちに憤りを感じる。もし、拷問を受けているのが、自分の愛する妻だったり、夫だったり、息子だったら、黙ってはいないだろうに。

    ジグメが所属するラブラン寺はアムド、甘粛省にあり、去年の、ここの僧侶たちによる大規模な抗議活動の様子はチベット外にも伝わって来た。私もここから来た元僧侶を知っている。彼も、大変な思いをして亡命をしてきた。やはり、とても勇敢な人である。

    このビデオの中では1回目の投獄の傷から回復し、大柄な体で健康そうに見えるジグメが今また、どこかに投獄されている。ここで述べられているよりも、もっとひどいことをされている可能性もある。

    まず、ラブラン寺のジグメは無事なのか? ちゃんと、生きているのか? 

    声明文の日本語訳(英語からおこした) パート1

    (*これは、20分のビデオからの翻訳であるが、一語一句は直訳されていない。中国公安局の名前や拘束中の電気器具などは、チベット口語体からの翻訳で、実際には正確ではない可能性がある)

    今年、チベット暦2月の15日目(西洋歴で2008年3月22日)、僧院での集会が終わり、私は市場へ行った。タクシー乗り場の横に座り、靴を修理してもらった。僧院へ帰ろうしたとき、私の携帯電話が鳴った。だけど番号が見えなかった。すぐに、白い車が現れ、私の目の前に止まった。4人の軍人がでてきて、私を逮捕し、車まで引っ張っていった。後ろを振り向くと、尼僧がいた。私は、「尼さん、尼さん!」と数回叫び、彼女が私が逮捕されたのを目撃したことを確認した。一度車に乗ると、彼らは私の頭を黒い布でおおい、手錠をはめた。頭に銃をつきつけられ、体を押さえつけられた。彼らは武装警官のゲストハウスに私を連れて行った。

    ゲストハウスは、地元の警察署の裏側に会った。彼らは私の頭から布をとったが、手錠ははずさなかった。その後、私の体を捜査し、携帯、財布、その他すべてを奪った。私の手は後ろに結ばれ、イスに座らせられた。若い兵隊が、自動機関銃を私につきつけ、中国語で、「これはお前を殺すための銃だ。絶対にお前をこの銃で撃ち殺してやる。お前の死体をゴミ箱に捨てても、誰も気づかないだろう」これを聞いたとき、頭に突きつけられた銃のことなど怖くなかった。怖かったのは、この男は兵隊であるだけでなく、公安局の人間で、法を執行する役人であり、そのような人間が、一般の市民に銃を向けて、このような台詞をはいている、という私の思考だった…(それはとても悲しいことで)私の心はまっぷたつに割れんばかりだった。

    力を持つ国籍の者が、小さい国籍を持つ者を嫌がらせして、大きな国家が小さい国籍を持つ者を殺すために武器を作っている、これだその出来事に表される。もし、こんな低い位の人間でさえこんなことをしているということは、上の位の人間はもっとひどいことをしているに違いない。

    拘束中、よく彼らが聞いた質問は、「ダライ・ラマがお前を扇動したのか?、ダライ・ラマが略奪、火災や破壊活動をするように指示したのか?」「ダライ・ラマをどう思う?」ということだった。私は仏教徒で、ダライ・ラマは私の命、心、魂だ。私1人じゃない。600万人のチベット人全員にとって、ダライ・ラマは今世だけでなく、来生をもの精神の拠りどころとなるお方だ。ダライ・ラマは世界平和を目指す、そのとてつもない努力により、多くの人から尊敬されている。彼は世界平和の擁護者で、非暴力の道を築かれた。ダライ・ラマは絶対にそのようなことを人に呼びかけない。私のような一概の僧侶でさえ、略奪、火災や破壊活動をするよう誰にも駆り立てることはできない。

    ダライ・ラマ法王は600万人のチベット人の魂だ。彼と私たちを分離させることはできない。チベット僧として、歴史的に私たちは、師弟の関係にあるのだ。私たちはこの関係を続けねばならない。
    私たちにはダライ・ラマへの揺るぎない信仰がある。「ダライ・ラマをどう思うか」という質問に、このように私は答えた。

    拘置所で数日間拘束され、刑務所に連れて行かれた。刑務所では、兵隊たちが中国語で「1、2、3」と号令をかけた。我々のうちの何人かは中国語が理解できず、彼らは私たちを叱りつけた。彼らは、「アニマル」「白痴」などと私たちを呼び、棒で殴った。なぜ殴るのか、と聞くと、彼らは「お前らが中国語を理解しないからだ」と言って、馬鹿にして笑った。
    私は、「憲章や中国人民共和国の憲法では、違う国籍の者が済む地域では、その国籍の者が使う言語が使われ、その国籍の者が統治する権利が与えられなくてはならない」と記されているのに、なぜ、チベット人の地域では、チベット語が使われるかわりに『アニマルだ、白痴だ』とののしられるだけでなく、中国語を理解できないという理由だけで、肉体的な暴行をされているのか」というのが私の疑問だ。

    それぞれの素行や年齢など関係なかった。例えば、14、5歳の僧侶や60から70歳の僧侶も逮捕された。抗議活動に参加したかしていないかなど、関係なかった。我々には服も靴も無かった。ふたりの僧侶が一緒に縛られ、車の中に詰め込まれ、連れて行かれた。薪を投げるように車の中に放り込まれた。手に傷を負ったり、骨折したりしていても、刑務所に連れいていかれた。親族や友達たちが、食事、洋服、寝具などを差し入れすることもできない。寒さに耐えるために、みんなで固まっていなくてはならなかった。私たちがチベット人だからという、それだけの理由でひどく暴行されたのだ。それをとても悲しく思う。

    我々はカチュ(中国名Linxia)の刑務所に連れて行かれた。そこにいたのは中国人と回教(イスラム教)の中国人だった。チベット人は我々だけだった。毎日、はだしで尿と排泄物を取り除き、床を洗わなくてはならなかった。刑務所では、僧の袈裟をとり、一般の服装をしなくてはならなかった。私は仏教僧であり、袈裟を脱ぎ、一般の服装をして、手錠をつけられて、裸足で車にのせられることなどは屈辱だ。刑務所の状態はとても貧しく、飲食物や、着るものも満足になかった。顔を洗う為のタオルでさえもそこにはなかった。

    私はそこに1ヶ月拘束され、手錠をかけられたまま同じ体勢で何日も何夜もすごさねばならなかった。尋問の最中、私が「外と連絡をとった」と糾弾された。ダライ・ラマ、サムドゥン・リンポチェ、そしてアジャ・リンポチェに連絡をとったと認めなくてはならなかった。それと同じように、学者や教師などの連絡先が他にもあるとも言われた。「おまえは活動に参加していたし、組織を指示していた。外の地方にも沢山電話で連絡をとった。それで一体なにをしたんだ?チベット国旗をどこで印刷したんだ?何枚印刷した?おまえの組織には何人いるんだ?」
    「お前にはこの罪を認める以外の選択はない」そういうと、私の手をロープで縛り、数時間ほど吊るし上げられた、、、天井から吊るされ、私の足は床から離れていた。そして、彼らは顔、胸、背中を拳で思いっきり殴った。あるとき、ついに、私は意識を失い、病院へ連れて行かれた。

    病院で意識が回復すると、また刑務所に連れて行かれ、前と同じように吊るされながら暴行された。結果的に私は再度意識を失い、また病院に運ばれた。2回目だ。私はあるとき、2日間連続で、食べることも、水を一滴も飲むことを許されず、暴行され続けたことがある。腹と胸の痛みがひどかった。2度目は、病院で6日間意識不明の状態にあり、目をあけることも、しゃべることもできなかった。

    死にそうになっていたところ、彼らは私の身柄を家族に引き渡した。釈放されるとき、拘束していた連中は、地方当局に私を暴行していないと嘘をついた。そして、私の家族にも同じ嘘をついた。そのうえ、「私に暴行は加えられていない」と書いた書類に、私は、無理に親指の捺印を押させられた。
    私は20日間病院にいなくてはならなかったし、およそ20万元(日本円で30万弱)の治療代を支払わねばならなかった。

    私が僧院に戻ったとき、友達が180人の僧侶が逮捕されたと言った。僧侶たちはなにも悪いことをしていない。年寄りの僧侶や師匠も逮捕された。彼らは夜じゅう、つま先立ちにさせられ、銃のうしろで、背中を殴られた。僧侶たちの首に暴行しながら、中国人たちは携帯電話で写真を撮っていた。

    僧院が捜査されているとき、警察官と兵隊たちは、仏像やお金、個人の所持品や食物を僧院や僧侶の住居から盗みだしているのを見つけた。中国共産党の兵隊たちこそが、本当の略奪者で殺人者なのは明白だ。彼らこそが非合法の行いをしているというのに、我々が逮捕され、暴行され、拷問され、殺されているのだ。

    我々はさらにダライ一派と共謀して一般大衆に暴動を扇動していると、糾弾された。もし本当に人種間の平等、表現の自由、宗教の自由があるなら、どうして私たちは心の中から信仰する対象を敬うことを許されないのだろう?
    我々の目の前で、彼らは尊い方(ダライ・ラマ)の写真を足で踏みつけ、銃の後ろでフレームを壊し、写真を粉々に破って、火に燃やした。もしチベット人たちが窓枠を壊したら、彼らは数百万元の損害だ、と言う。
    私たちが最も慕うお方の写真を足で踏みつけられた、私たちの心への損害はどう測るのか?
    中国の指導者たちは調和のとれた社会を作り上げるのが目的だというが、それと同時に私たちチベット人全員が敬い、精神の指導者と表するダライ・ラマを中傷する、、、私たちの価値感が見くびられ、踏みつぶされながら、私は一体どうやって調和を感じればいいのか?

    (パート2につづく)

    *パルデン・ギャツォを釈放するキャンペーンとしてもとても有効だったアムネスティーのハガキ書きキャンペーン今実施しています。
    空欄に
    "Please release Ven. Jigme Guri from Labrang Monastery in Gangsu immediately. We are gravely concerned about his safety.
    "
    と書いて出しましょう!

    ・epeaさんからのコメントで言われたのですが、なんと、アムネスティサイトのリンク、落ちていました、、、どこかの国のかたが、故意的になさったかどうかは分かりませんが、新しいリンク貼っておきました。

    3 件のコメント:

    T&M さんのコメント...

    ジグメ・グリ僧侶の情報など、チベットの真実をたくさん教えていただき、有難うございます。さっそく、アムネスティのはがきをたくさん送ります。パート2もお待ちしております。今日もチベットのことをこれから祈りに行ってきます。(From Bhutan)

    epea さんのコメント...

    ラプラン寺は去年、外国人ジャーナリストに突然アピールした僧侶の出たお寺だから、当局も一層厳しくしているのかもね。Flikcrに出ている写真を見ると、あまりの厳戒態勢ぶりにぞっとします。

    アムネスティの、私のところでも宣伝しますね。いつもありがとう。

    epea さんのコメント...

    リンク先に接続できないと思ったら、アムネスティ日本のサイト自体が落ちているみたいなんだけど、大丈夫かなぁ。

    はがきの表に書くべき宛名などの情報もアップしていただけると助かります。お忙しいところすみませんが、どうぞよろしくお願いします。