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    2010年4月19日月曜日

    NYタイムズ:地震のあと、チベット人たちは中国の救援活動を信頼せず

    以下訳:

    NYタイムズ:地震のあと、チベット人たちは中国の救援活動を信頼せず

    Jieguu、中国ー仏教僧たちは職業訓練学校のごつごつとした残骸の上に立ち、コンクリートの破片をつるはしと素手で動かそうとしていた。とつぜん、叫び声がした。がれきから、明らかに命をなくした「腕」がのぞいていた。

    僧侶たちが彼らの仕事を終わらせる前に、それまでは校庭で休んでいた中国人の兵士グループが突然動き出した。彼らは兵隊帽をかぶると、僧侶たちをどかし、彼らの一団のカメラが回っている前で、素早く少女の遺体をとりあげた。僧侶たちは、彼らの憤りをおさえ、後ろに立ち、死者へのチベット語のお経を唱えていた。

    “「私たちが仕事をしているときには、カメラは回っていないのです」四川省のラマ僧院から、地震のことを聞いてすぐにやって来た200人の僧侶のうちの1人のGa Tsaiが言った。

    「僕たちは人命を救助したい。しかし、彼らは、この悲劇が政治宣伝の機会だととらえているのです」

    水曜日の早朝、1400人の命を奪った、致死的な地震がチベット人が多くをしめるこの街を襲った後、中国の指導部はこの地震を二重の緊急事態としてとらえた。青海州の人里離れた、海抜3マイルの人道的危機、そして、反対意見を持つ、手に負えないチベット人たちに、共産党が「ふた」をしておけるかという新しいテストだ。

    胡大統領は、ブラジルへの訪問を短く切り、救援援助の指導のため、母国にもどり、温首相は、計画されたインドネシアへの旅行をキャンセルし、現場におもむき、中国の漢族はチベット人たちを助けるために何でもすることを、約束した。

    中国国営メディアは食料やテントを受け取り、喜ぶチベット人や、高山病と対峙しながらも探索と救援のスペシャリストたちが、存命者を探している話を大々的に報じた。

    救援活動は、確かに見事だった。数千人の兵士とトラックに沢山積まれた食料がJieguの道にあふれた土曜日、土をどかす重機がダウンタウンの倒れた建物をとりのぞきはじめた。600人以上の重体患者が500マイル離れた首都の病院へ運ばれた。最近では、民政部のロゴのついた青いテントが町中に拡げられている。

    しかし、政府の寛大さや民族間の統一の表に出ているサインと違い、この地震は北京側と、多くが漢民族が主流の国の中での、自治体制と文化的アイデンティティーを保つのに苦心し続けるチベット人の間に残る根強いテンションをさらした…

    1959年から中国に足を踏み入れていないチベットのリーダーのダライ・ラマは、災害が起こった地域を訪問したいという公式のリクエストを表明したが、これはおそらく却下されるだろう。

    水曜日の早朝に地震が起きて以来、数千人の僧侶がこの街を訪れ、何人かは、3つの州から連なり、隣あわせのチベット人居住区の端々から2日間かけて運転して来た。

    倒れた建物から、人々を引きづりだし、救援した最初の人々はこのバーガンディー色の袈裟を羽織った僧侶たちなのだ。

    「彼らは私たちにとって全てです」57歳のOh Zhu Tsai Jiaは、若い僧侶のグループが彼の妻の遺体に祈りを捧げられるよう、車のトランクを開けながら言った。

    土曜日の朝、この僧侶たちは街の僧院から1,400の遺体を、街を見渡せるホコリっぽい高台に運んだ。

    そこには、2つの長い回収された木で埋もれた溝があり、そこに遺体を投げ込み、火葬にする火を焚き上げた。

    その火が一日中燃え続ける中、声高々に、そして静かに赤い珊瑚とターコイズの数珠を数える僧侶たちのそばに、数百人の会葬者たちが黙って、座っていた。

    警察と漢族の役人たちの不在が目立つ。

    僧院の指導者たちは、不満の声を上げないように気をつけながらも、地元政府の役人が誰一人としてこの死者の数を勘定に含めなかったことを言った。それでも、多くの若い僧侶たちは、不満を抑えきれない様子だ。

    第3小学校では、僧侶たちは50人の学生をつぶれた教室から引き出したが、役人が彼らに何人が亡くなったかを訪ねた時、警察がその数を半分に縮めたと言う。「彼らはこの地震がいかに悲惨なものかを世界に伝えるのを恐れれているのだと思う」と23歳のGen Ga Ja Baは言う。

    最も良く出てくる不満のひとつは、しかしながら、公式救援活動のフォーカスが街の大きな建造物にあり、いくつかの例外をのぞいて、土レンガでできた数百の家は無視されたと言う。他は、確認はできないが、警察と死者の勘定についての小競り合いがあったと言った。

    感情を刺激するような批判としては、僧侶たちが地震の起こった後の最初の数日間、集まって救援活動をしようとしたところ、兵隊たちが邪魔をしたということだ。

    僧侶のTsairenは、彼と他の僧侶たちが、最初の夜に、崩れ落ちたホテルで兵隊たちと小競り合いをしたことをしゃべった。「どうして彼らは私たちに助けさせてくれないのか聞くと、彼らは我々を無視した」とTsairenは言った…

    その後、彼と100人が職業訓練学校に行くと、崩れ落ちた寮の瓦礫の中から少女の声が聞こえた。

    彼らは、兵隊がその瓦礫にいくのを邪魔し、僧侶たちの僧院のリーダーのGa Tsaiが彼らが「州のチーフ」と呼ぶ男と小競り合いをしたと言う。

    「彼は私の袈裟をつかみ、道から引っ張って外に出した」とGa Tsaiは言った。

    夜になり、兵士たちがその場を去ると、僧侶たちは活動に戻り、数十以上の遺体を取り出した。

    もしこれが誇張であったとしても、このような話は、政府による、チベット人たちの心を勝ち取ろうとする努力に反して作用するだけだ。

    最近では、政府は、中国語では玉樹といわれるJieguを立て直すことを誓約し、どのような出費も問わないことを約束した。多くのチベット人たちが救援活動に感謝し、役人たちが気遣いを噴出させるなか、その他は感謝の意を表すどころではない。

    土曜日に掘削機やブルドーザーが、職業訓練学校の寮の残骸をふるいにかける中、16歳の学生はGong Jin Ba Jiそれを見ていた。

    一日前、不注意にもこれらの重機がクラスメートの遺体をばらばらに切り裂いたという。彼女は、お姉さんの遺体を救出してもらおうと、まだ待っている。

    「もっと気をつけて彼らが活動してくれるといいのだけれど」彼女はぼんやりと言う。「もしかすると、彼らにとっては、私たちがチベット人だから、どうでもいいのかもしれないわ」

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