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    2009年7月23日木曜日

    マドンナの新しいPV ”Get Stupid”にチベタン、ダライ・ラマ法王、そしてイランが!!

    さすが、女王! 消費問題に取り組んだぶったまげるくらい斬新なドキュメンタリー、"Surplus"のJohan Söderberg 編集!

    今度はチベタンにダライ・ラマ法王の写真を飾れと強制する当局

    Chinese authorities force Tibetans to dislay Dalai Lama's pictures
    中国当局はチベット人たちにダライ・ラマの写真を飾るように強制している

    Phayulより [Wednesday, July 22, 2009 20:28]


    ーー以下日本語訳ーー

    ダラムサラ 7/22 - ラジオ局Voice of Tibetによると、中国政府当局は四川省甘孜県のChogroで、亡命したチベット指導者ダライ・ラマの写真をチベット人たちに仏壇に置くよう強制している。地域のチベット人たちは、当局によるこの最新の動きに驚くととともに、疑わしく思っている。

    南インドはドレプン・ロセリン僧院のTrehor Houseに属する僧、Phurbaは彼は伝統的なチベット地域のTrehor内、Chogroにいる信用のおける筋からこの情報を得たという。

    Phurbaによると、当局側は過去にダライ・ラマの写真を禁じたのは、政府の命令ではなく、ある一般人たちがチベット人たちに、中国が分離主義者と呼ぶダライ・ラマの写真を現像することを禁じた、と言っているという。

    Phurbaは、チベット人はまだ誰もダライ・ラマの写真を家に飾っていない、と言っている。

    チベット人たちはこの新しい規制に驚いているが、分析家たちが呼ぶ「アメとムチ」政策に対して騙されないよう、気をつけている。チベット人たちにとって、ダライ・ラマを罵倒するよう強制していた当局が、今度はこのチベット人指導者の写真を飾れ、と言っていることを、信じがたく思っている。

    もっと大きな街では、当局が拡大したダライ・ラマの写真を配っている。

    チベット内のチベット人たちはダライ・ラマの写真を現像すること、ましてや、飾ることさえも当局によって禁じられているとPhurbaは言う。74歳になるこのチベット人指導者の写真を現像したことで、長い懲役を受けたチベット人たちがいることも過去には報じられている。

    Tongkhor 当局はおよそ18袋分のダライ・ラマの写真を数ヶ月前には焼き捨てたばかりだと、Phurbaは付け加えた。

    ーーーーーー

    なんていうニュースだろう! どういう意図があるのか。ほんっとーに、疑わしい! 

    2009年7月21日火曜日

    拘束中のチベット人フィルムメイカー、ドンドップ・ワンチェンについて


    Woeser さんのブログより

    Family Fear for Detained Tibetan Filmmaker Dhondup Wangchen; Beijing Lawyer Barred from Case
    委任されていた北京の弁護士がこの件から強制除外され、拘束中のチベット人フィルムメイカー、ドンドップ・ワンチェンの家族は彼の身の危険を恐れている。

    ロンドン、7/20/2009

    現在中国当局により拘束中のチベット人フィルムメイカー、ドンドゥップ・ワンチェンの妻と従兄弟は彼の健康と刑務所での待遇を真剣に憂慮しており、国際社会に協力を求めた。現在の情報によると、ワンチェンはB型肝炎を患っており、拘束中に何の治療も与えられていない。ワンチェンの家族は北京の弁護士を雇ったが、中国政府の圧力によりこの事件から降りることを強いられた。

    「この最新のニュースを聞く前まで、1年以上ワンチェンのニュースは全く聞かなかった」、ワンチェンの妻のラモは現在亡命中の北インドのダラムサラで語った。「彼は健康的で活動的な人間です。中国の拘留下で一体どんなひどい拷問を受けているのか想像もできません。B型肝炎を患っているのになんの治療も受けていないことを知って、彼の命が心配です。私たちの4人の子供には絶対にこのことを話せません」ラモは言った。

    35歳のワンチェンはチベット人たちにオリンピック、ダライ・ラマ、そして中国政府のチベット政策についてインタビューをしていたことで、2008年の3月26日から拘束されている。このインタビューはLeaving Fear Behind(ジグデル)というドキュメンタリー映画に仕上げられ、2008年8月オリンピックの始まる2日前に北京のジャーナリストたちに初めて見せられた。
    (この試写会に参加したジャーナリストの素晴らしいレポートはこちら

    「ドンドゥップ・ワンチェンは何の罪も侵していなし、刑務所にいる必要はまったくない」スイスはチューリッヒに住むワンチェンの従兄弟、Gyaljong Tsetrinは言う。ふつうの人たちの基礎的な人権や言論の自由についての意見を記録することは中国の法律でも許可されている。中国政府は自分たちの法律を考慮せず、その上、独立した弁護士が彼の弁護をすることからも除外した。そのため、私は世界中の人権団体や支援者たちに、あなた方の国の北京在住の代表者たちに、中国政府に圧力をかけドンドゥップ・ワンチェンを無条件に釈放するよう要求してほしい、と求めているのです」

    今まで、Leaving Fear Behindは30カ国以上の国で上映され、フランス語、スペイン語、ドイツ語、ポーランド語、ハンガリー語、日本語、そして中国語などに翻訳されている。国際的な組織でワンチェンの健康状態と拘束中の待遇について憂慮の意を表明しているのは、 Human Rights Watch、国境なき記者団、アムネスティ・インターナショナルなどである。


    ドンドゥップは1974年10月17日、チベットの北東アムド地方のTsosharで生まれた。農家を営む家族に生まれ、教育は受けていない。1993 年、ドンドゥップと彼の従兄弟のGyaljongはダライ・ラマ法王に会うためチベットから抜け出した。ドンドゥップはチベットに戻り、彼の従兄弟はスイ スに政治亡命した。ドンドゥップは去年のチベット騒乱の直前にスイスの従兄弟にビデオを送ることに成功していた。

    Contact:
    English: Dechen Pemba: +44 (0) 77 848 23907
    German: Tenzin Tsedoen: +41 (0)79 384 05 63
    Tibetan: Gyaljong Tsetrin, +41 (0) 76 462 67 68

    3秒で完了!!!国境なき記者団のドンドゥップ・ワンチェンの釈放署名サイト!!

    ドンドゥップの奥さんのビデオインタビュー:




    2009年7月20日月曜日

    アクション、アクション、汗、アクション!

    NYチベットコミュニティーが燃えています!

    そしてテンドル@SFTNYから日本のチベット人+チベット支援者へのビデオメッセージ。



    ーーーー

    冷水シャワー!

    2009年7月17日金曜日

    チベット -ポタラ宮と天空の至宝展-に抗議するアクション!

    お久しぶりぶりです。

    熱帯夜が続いているNYからお届け!
    お元気ですか、皆様?

    NY、ロンドン、東京のチベット人そしてチベット支援者がボランティアで始めたあつーいアクションがスタートしました。




    チベットのものすごーいお宝が4月に我が国に来て以来、3が月がたっています。九州博物館では14万人以上の来場者を出したという中国政府協賛のチベットの至宝展…2005年のNYはルーベン美術館での展覧会でもチベット人や支援者から沢山の抗議を受けたにもかかわらず、去年のチベット騒乱から今に続くチベット僧、尼僧、抗議者への弾圧、逮捕、拷問、死刑宣告があるなか、日本にこの展覧会を持ってきました。

    沢山の素晴らしい美術品、ウェブで見ただけでもすごいものだというのは分ります。そのうえ、日本人は仏像を心から敬い、愛でることのできる民族です。だけど、この素晴らしいチベットの美術品と日本人の信仰心を利用して、中国政府は「自分たちはチベット文化を保護している、そしてチベット支配は善意あるものなんだ」と、世界に宣伝しようとしているのです。一方、チベットのチベット人たちは彼らが愛し、敬う、ダライ・ラマ法王の本や写真も自由に持ち歩けず、言論の自由も与えられていないというのに!!そんななか、我が仏教国の九州博物館、北海道立近代美術館、上野の森美術館、大阪歴史博物館、仙台市博物館は、中国政府のプロパガンダを広める基盤を与えているのです

    九州で展覧会に行かれた方たちによると、日本人のチベット学者が中国語原文で書かれた誤りの多い美術品解説を書き直したため、内容は事実に即している部分もあるものの、肝心な情報が抜けているのだそう。ポタラ宮が亡命されたダライ・ラマ法王14世の住居だったことや、1949年の中国人民解放軍のチベット侵略、また1959年にダライ・ラマ法王14世が亡命されたこと、現在チベット人たちは中国支配下にあり、弾圧を受け続けていること、などの事実がごっそりと抜け落ちているという。

    チベット人、チベットサポーターたちは黙ってはいません。ということで、チベット展に抗議し、そこに隠された事実を啓蒙するキャンペーンが有志により始まっています。今は上野の森美術館の館長に抗議文を世界中から送るキャンペーンをしています。
    ウェブサイトから抗議文をダウンロードし、あるいは自分の言葉で想いを綴り、上野の森美術館にレターを出してください。
    NYから、そして日本のSFTJのツェリン・ドルジェさんからすでに公開書簡は投函されています。
    NYでも、チベット人の憩いの場ジャクソンハイツ、またの名を「NYのマクロードガンジ」でキャンペーンをし、どんどんレターを出しています。チベットの元良心の政治囚のガワン・サンドルさんも参加しています。



    また、ミクシイ上で、この展覧会についてディスカッションをしているのを見かけました。展覧会に行ってきた人たちが、フリーチベットTシャツを着ていく、とかバナーを持って行く、また、展覧会に来た人とチベットの近況について対話をする、というようなことも言っているようで、これは一見グッドアイディアなのですが、この
    「まずは展覧会に行って、自分の目で確かめたい」
    とい議論については、ひとつ考えてみたい点がある。

    私がこのディスカッションを、NYのチベット人に話したところ、
    「行ってからじゃあ、遅い!!中国政府はこの展覧会でお金を儲け、そのお金をさらにチベット人弾圧に使うんだ!行ってからではむこうの思うつぼになってしまう!」と。

    人々に「行くな」とは言えない。でも、ダライ・ラマ法王でさえ50年以上目にしていない至宝を私たちが「この機会」に見ることによって、誰がいちばんの利益を得るのかをもう一度考えてみてもいいのではないかと思う。

    2009年7月8日水曜日

    必読:ひとりの勇敢なウイグル女性

    Woman's lone protest calms tempers as Uighurs confront Chinese police
    ウイグル人が中国警察と対立する中、1人の女性が興奮状態の群衆の抗議活動を鎮める


    Tania Branigan in Urumqi
    guardian.co.uk, Tuesday 7 July 2009 15.09 BST

    (以下 Guardianの記事より)

    最初は誰も彼女に気づかなかった。彼女ははじめ、怒れる群衆の中の老いて、疲れた顔のうちの一人だった。やがて、ゆっくりと彼女は群衆の中から抜け出し、徐々に道を歩き出した。

    この女性はたった1人で、松葉杖をついて歩いていた。しかし彼女は今日ウルムチで、中国武装警察とウイグル人たちの異例な対立のただ中、武装した運搬車と結集した民兵組織部隊を -たとえ一時的にとはいえ- じりじりと後退させた。

    前日の暴動の現場を見せるオフィシャルなメディアツアーが行われていたとき、数百人の警察の前で、ウイグルの住民たちは抗議活動を勃発させた。日曜日の暴動が150人の命を奪い、数百人のけが人を出したあと、数千人の機動隊と武装民兵警察が首都の南側に殺到していた。

    市場にいた女性たちは、外国人記者たちが到着したとたん、一斉にむせび泣き、警察がウイグル人男性を連れ去ったと、叫び声をあげた。当局は日曜日の騒乱との関連で1434人を逮捕したという。

    「昨晩、旦那が警察に連れて行かれた。どうしてか分らないし、彼がどこにいるかもわからない」 Abdurajitという女性は言った。「私の旦那も連れて行かれた。警察はまだ彼を拘束している」他の女性も割りこんだ。

    彼女たちがメインストリートに出てくると、ウイグル人男性と他の女性たちも叫び声をあげ拳をあげて参加しはじめ、群衆は200人くらいにふくれあがった。

    すると、老女が群衆の中からでてきて道をゆっくりと進みはじめた。1人のウイグル人の警察官が前に出てきて、彼女をエスコートして、引き返させようとした。彼女は説得に応じようとしない。

    年老いた住人たちが前に出てきて群衆を沈めようとしているとき、彼女はしっかりとした足取りで武装車の並んだほうへ前進していた。彼女はそのうちの一台の数センチ手前で止まった。運転手がエンジンをかけた。彼らはしばらくの間、対面し合っていた。すると武装車はゆっくりと後退し、警察官たちの列が道の後方へ後ずさった。

    彼女は前に進み、彼らは後ずさった。彼女は前進し続けた。先出の警察官が彼女に後退してくれ、と懇願している中を。

    突然彼は私の方を向き、私のノートをつかみ、ページをやぶると何かを書いて彼女に渡した。それは彼の名前と身分証明書の番号で、この警察官が彼女を助ける意志があるという証明だった。彼はそれを彼女につきつけた。しぶしぶと、彼女はその場を立ち去ることに同意した。

    一瞬、分裂した街の緊張が失われたように見えた。

    この事件の前、群衆は警察車を取り囲み、フロントガラスをぶち割っていた。ある女性は彼女の家族の写真をヘルメットをかぶった警察官につきつけ、それを見るように叫んでいたが、次第に扱いにくいムードになり、群衆から出てきたいくつかの手がその警察官をパンチしはじめた。彼は同僚の警察官たちに引っ張られて助けられた。もはや中国国家勢力の一部ではなくなり、恐れる脆弱な1人の男だった。この街に任務する他の多くの若い警察官同様に。

    群衆がふくらみ、民兵たちは道路に出て彼らを後退させようと押していった。何人かの民兵たちはこん棒とシールドを持って駆け出して行ったが、彼らの上司たちは止めようとしない。

    また一方では、年老いたウイグル男性たちが群衆たちを鎮めようとしていた。

    そして彼女が前進したのだった。この年老いた女性が引き上げようとしたときは、群衆の抗議活動が勃発してから30分くらい後で、民兵警察と群衆の後ろに集まった2列目の武装警察にはさまれ、群衆の興奮状態は収まり、人数も数十人に減っていた。

    ・この件の様子がもっとよく分かるビデオ(アルジャジーラ:Youtube) reported by: Melissa Chan

    アルジャジーラMelissa Chan記者のウイグル現地レポートTwitter


    2009年7月6日月曜日

    FREE Uighurs!!!! FREE Tibet!!!

    NYtimes:China Locks Down Restive Region After Deadly Clashes

    日曜日の新疆ウイグル族騒乱で156人が亡くなり、1000人が怪我。首都ウルムチは戒厳令が出されている!!

    Published: July 6, 2009

    …6月末に数千マイル離れた広東省、韶関(シャオコワン)で起こった乱闘に対する中国当局の扱い方をうけ、インターネットのソーシャルサイトやチャット上でウイグル人たちが怒りを統一させた。国営通信新華社によると、そこで、漢族の労働者がウイグル人たちの寮で暴れ回り、少なくとも二人を殺し、多くに怪我をおわせた。警察は、その後、この暴動を引き起こすきっかけとなった、6人のウイグル人の男が2人の漢族の女性をそこでレイプしたという噂をながした、腹をたてていた男を逮捕したと新華は報道した。

    しかし、その暴動の後でインターネット上で流れた写真には、人々が死体の山の周りに立っている様子がうつり、ウイグル人たちは政府がウイグル人の死者の数を少なく言っていると信じた。1人のウイグル人の学生は、この写真はインターネットに一週間くらい前からのりはじめた、という。政府はこれを検閲し、消そうとしたが不可能だった、と彼は言った。

    「ウイグル人たちは何度もくりかえし、写真をポストし、より多くの人たちに真実を知らせようとした。だって、政府がウイグル人たちに堂々と不正を行うなんて、なんて痛々しいことなんだ?」政府からの処分を恐れ匿名を条件にしゃべったその学生は言った。

    政府がインターネットの掲示板ウェブサイトをブロックしようと努力するにもかかわらず、抗議活動へのよびかけはウェブサイトやQQ(中国で一番有名なインスタントメッセージプログラム)によって行われた。

    新華社によると、抗議活動が開始した36時間後の火曜日の朝までには、警察は1400人以上の容疑者を拘束した。…

    新華社は156人の死者の内訳を出しておらず、何人が抗議者で、何人が市民か警察官かははっきりしていない。独立のソースからの死者数はまだ出ていない。少なくとも1000人以上の人が抗議活動に参加したと言われている…」

    チベットと同じ状態。でも、自由な取材はまだ無理だけれど、ウルムチに海外メディア向けのプレスセンターはできたという。

    以下毎日新聞から:
    「…本部事務局の通訳メメトさん(35)によると、5日午後、ウルムチの人民広場で学生約100人が平和的なデモを始めた。間もなく警官隊が現れ、デモ参加者 に発砲、学生3人が死亡した。発砲にもかかわらず住民や通行人がデモ隊に加勢し、参加者は2万人近くに膨れ上がった。一部の参加者は商店に放火。警察車両 が女性や子供をひいたことに抗議して警察車両を次々にひっくり返した。…」

    新疆・ウイグル族暴動:建国60年、当局衝撃(上) 積極的「公開」、情報合戦の様相

    新疆・ウイグル族暴動:建国60年、当局衝撃(下) ネットで呼びかけ 漢族と格差、怒り

    アルジャジーラ女性記者のウイグル現地レポートTwitter

    2009年7月5日日曜日

    1日ヨガ・アシュラムへ


    今週末、アメリカは独立記念日のロング・ウィークエンドだったのです。すっかり、コンピュータとばかり日々を過ごすなか、頭が情報だらけになり、ものごとを効率よく処理したり、解決することがもはや困難な状態になりつつあったので、一日retreatをすべく友人のフィルムメイカー、Megumiさんに誘われて、いっしょにアップステートへ。
    Megumiさんはさすが長年のyogiなだけあって、ここのAnanda Ashramは何度か泊まったことがあるそう。
    一日まったく何もしない!と心に決めて、朝9時半のバスに乗りいざアップステートへ。NYCから1時間強のところにこんなに美しい自然があるのか、と思うくらい素晴らしいところだった。

    80ドルで3食、宿泊(6人部屋)つきで、ヨガやメディテーション、サンスクリットのクラスを好きなだけとれる。ボランティアの方々が愛をこめて掃除をしている宿はとても清潔で、しかも食事は新鮮なオーガニックなベジタリアンで、ありえないほど美味しい。時折出るレーズン・オートミールクッキーや桃のケーキのデザートなんかも甘さ控えめの焼きたて!ヒンドゥー教の猿のかたちをした神様、Hanumanという名前のユダヤ人のシェフは天才的で愛のこもった料理を作るのです。



    色々なアシュラムがあるなか、Anandaはその自由さで有名らしい。他のアシュラムはバケーションをしに行っても、朝5時に起こされて、ヨガやメディ テーションのクラスに参加をしないといけないらしいけれど、ここは本当に自由な空気が流れていて、来ていた人たちは「隠された宝石」と言っていました。本当にそうよ!

    鹿やウサギが行き交う、緑のまぶしい大きな敷地内はとってもCalmなエネルギーが漂っていて、ただ湖を見ながらおしゃべりしているだけでもだんだんうとうととしてくる。
    くだらないことに笑ったり、ボートに乗って鴨と戯れたり、夕立の中で緑を見ながらヨガをしたり、ああ、満喫しましたとも!

    自然はこんなに私たちの心や身体をほぐしてくれるんだ、なんて今更ながら思う。頭のなかでごちゃごちゃ考えていたことがすーっと順序立てて流れて行く感じ。ホコリひとつないアシュラムの部屋を思いながら、今日は朝起きて大掃除をしました。

    また、行こう!

    2009年7月1日水曜日

    村上春樹さんの新刊

    数日間、1Q84を夜中に幸せに読みすすみ、朝3時半までかけて読了。

    あらためて、村上春樹さんという作家はものすごいストーリーテラーだと思う。これだけ複雑な物語を頭のなかに描き、それを他者に伝えていくなんて、とてつもないことだ。
    とにかく、今回はキャラクターも良かった。青豆、天吾、ふかえり、そしてリーダーでさえも。女性をここまで描けるなんて!

    私はこの世の中をもっと知るために、あるいは人類を「体験」し、より「理解」しようとするために、映画を見たり、本を読む。でも、村上さんの書く本を読んでいると、純粋なストーリーだけでなく、その後ろにある彼の息づかい、その文章を紡いだときの彼の表情みたいなものまでをすごく感じる、想像する。 これは、読書を邪魔するようなものではなくて、逆に2倍に面白くしているものだ。
    たぶん、ストーリーを純粋に楽しむのが映画や本の極意だと言うひともいると思うけれど、私がひかれるのはストーリーはもちろんだけれど、その後ろにいる「作家」の息づかいを、より感じさてくれるようなものだと。だからデビッド・リンチも実は大好きなわけで。
    (その作家性が嫌味になってしまう人もいるけれど、村上さんやリンチはだいじょうぶ)

    青かった大学時代にいつも、なぜ人は生きるのか、などと考えていたとき、「羊をめぐる冒険」を読んで、そういうあやふやな疑問を持っている私のような人間を包括 し、創造力の羽を与えつつ、ちょっとした居場所を作ってくれるなと思い、村上さんの作品が好きになった。だからずっと読み続けている。19才のときロンドンに半年いたのだが、あまり良い思い出はないのだけれど、村上さんの小説を繰り返し読むことくらいが楽しみだった時もあった。
    それ以来、人生を歩む中で、私はNYに住み、ドキュメンタリーを撮っていたり、ボリウッドが好きになったりして、色々な好みやなんかもかわってきたけれど、昔のexistential crisisを持っていたような自分は今でも自分の中にあって、彼の小説を読むとその感覚がすごくよみがえってくる。でも、前ほどそのなかで迷子になった りしない自分もいる。

    「ねじまき鳥クロニクル」あたりから、村上さんの小説が少しかわってきた、というのは私も感じているけれど、彼が人間として、あるいは作家として、(私が言うのも とてもおこがましいが)ものすごい職人技術を身につけ、なんか「ものかき」の極限みたいなものに挑戦していっているような気がしてならない。
    その職人技術たるや、もちろん一般受けのストーリーを書いてベストセラーを続出させる(現にベストセラーだけれど)、とかそういうものではなくて、「今までつきつめてきたものを、どこまでまとめて、安定して、コントロールしながら文章で表現できるか」という、ある意味数学の謎解きのような技術のような気がする。言っている意味がわかるといいのだけれど。
    とにかく、「自分をコントロール」というキーワードに集約される。村上さんの、ストイックそうな早起きして書いて、ジョギングする、という生活も反映しているのかもしれない。

    ただ、彼がいま作家として目指そう(もし彼がなにかを目指しているとすれば)としているところは、一般の読者である私からとても離れているところなのかなー、という感じもする。それはそれで全然かまわないのだけれど。今回の1Q84の大ざっぱな部分での読後感は「ねじまき鳥クロニクル」や「海辺のカフカ」に受けたときとちょっと似たような印象だ。好みからいえば、私は「ねじまき鳥クロニクル」のほうが「1Q84」よりも好きだし、「海辺のカフカ」よりも「1Q84」のほうが好きだ。
    そのなにか、すごく上の(あるいは遠い)地点を目指し、同時代に生きる作家である村上春樹さんから目が離せないし、いつまでも新刊を楽しみに読み続けたい、と私は思っている。どんどん彼が先に行っているのを、後ろからとても興味深く、敬いをもって、「そうくるのかー」と眺めている感じ。