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2009年3月19日木曜日
アムドはラブラン寺のジグメ・グリのこと 2
甘粛省のラブラン寺の僧侶、ジグメ・グリのビデオ・ステイトメントの訳
ソースはここ: High Peaks Pure Earth
僧侶たちは拘束されている間、暴行を加えられた。それだけでなく、記者と話をした者たちは棒で殴られ、足の骨を折られた。電気棒を頭や口の中につっこまれた者もいる。この電気棒は脳にダメージを与えるから、障害者になった者もいる…狂っている。我々はこのような拷問を耐えた。今の私たちの主な希望は国際メディアと国連の実情調査隊がチベットに来て、調査をし、彼らの見たことに基づいて記事を書いてもらうこと。これが一番の希望だ。
中国側はチベット人が非合法な行為をしたと言い、我々を逮捕し、暴行し、沢山の人間を殺している。沢山の人が山々を超え、逃亡し、家や家族の元に戻らない。もし、世界中のメディアがこれをレポートしたら、どんなに助かることか。
ダライ・ラマは我々を扇動していない。法王は独立のために闘えともおっしゃらなかったし、法王はこういったことについて何もおっしゃっていない。我々の多 くは、ダライ・ラマ法王の中道アプローチの案や、(中国内にとどまり、チベット人によるチベット自治を求める)中国当局との平和的な対話を通じてチベット 問題を解決する案を支持している。今日、私は真実の目撃者として、殺され、刑務所のなかで拷問され、山々を超えて逃亡し、家に帰ることができない数えきれないチベット人たちの話を、メディアを通して語っているのだ。そうすれば、メディアは事実としてこの状況をレポートすることができるだろう。これが私の希望だ。
公安局、秘密警察や作業チームの役人たちが僧院の私の部屋を訪れ、私を見張っている。今も、1人の男が私のことを故意に見張っている。私は外に出ること も、電話をかけることもできない。分厚い中国憲法を学ばなくてはならず、私は自白状を書くように命令されている。いま、刑務所にはいないが、まったく 自由がない。
ここ数日、ラブラン僧院やアムド地方だけでなく、カムや中央チベットでも、我々チベット人が不正に摘発されている。多くのチベット人が殺され、虐げられ、 逮捕された。200人以上のチベット人たちが殺され、数千人が逮捕されたと聞いている。暴行や逮捕はまだ過去のことではない。ニュースはブロックされていて見れない、サテライトの為の通信皿は置けない、アメリカからのニュースを聞いたり、見たりもできない。地元のニュースを見るように命令され、外国人と話すこ とも禁じられている。これが、表現の自由なのか? 信仰の自由はどこにあるのだ?
チベット人たちはいま、様々な想像を絶する苦しみを強いられている。私はラブラン僧院の仏教僧だ。今年逮捕された人間の一人にすぎない。私を拘束した人間にこう言った。もし私を殺せば、すべてそれで終わる。だけど、もし外に出て、チャンスが訪れたら、私が証人として世界中の人に向けて、私の身におこった拷問のことや友人たちが体験した苦しみをメディアに伝える。
もし釈放されたら、暴行を加えられたことは言うなと、言われているし、外にコンタクトをとるな、と警告された。だけど、自分が受けた拷問のことや、友人が耐えた苦しみのことを黙っていることはできない。今日私が話をしているのは、その理由だ。チベット人が住むエリアへの厳しい弾圧は未だ続き、私たちは自由に行動 することもできない。
この数日、当局はオリンピックを支持するように言う。しかし、このへんのチベット人は蘭州へ旅することも許されていないのに、どうやって北京へ行ってゲー ムを見て、支持することなどできるというのか? 地元の外へも出れやしないのに。オリンピックのせいで、伝統的なお祭りやお祝い事、そして宗教的な儀式をすることは、禁じられた。
軍隊があらゆるところ配備されている。僧院に属する小屋の中で、彼らは藁で人形を作り、チベット人の服を着せた。中国人の兵隊たちはそれを銃剣でつつく練習をしている。彼らの敵はチベット人であり、僧衣を着た僧侶たちであるらしい。
逮捕された全員のチベット人が抗議活動に参加したのではない。なぜ彼らは、軍隊の訓練と称して、銃剣をチベット人の服を着た人形に突き刺しているんだ? チベット人を彼らの敵だ言って、苦しんでいるのは僧侶たちだけではな い、、、チベット人の職員、学生、普通のチベット人も、、、チベット人全員が苦しんでいる。大きな政府、大きな国、大きな国籍が武器、戦車、大砲を、小さく低姿勢 であるチベット人たちに使っている。数千人の兵隊たちが我々を包囲している。「反抗的なチベット人を殺せ」と彼らは命令する。
この21世紀、世界中の人々は世界平和への道を歩んでいる。平和を愛する人、真実を支援する人々は、中国がメディアをブロックして、チベットの中で行われていることを見られないよう、記者たちの出入りを制限している中国政府の行為を暴露するべきだ。
世界中の報道機関、国連、人権保護団体は、この問題に注意をはらい、チベット人たちが悲惨な現状を脱するよう、解決法を探していただきたい。
例えば、中国がダライ・ラマの代理人と、意味のある対話をを行い、チベットと中国の問題に、両方に利益のある解決をもたらすよう、圧力をかけることもでき る。中国共産党は「安定と調和が国家の重要な目標」と述べている。
もし、ダライ・ラマと中国共産党が一丸となり、中国人とチベット人両方に利益がある形で、チベットと中国の問題を解決できたなら、正真正銘の末長い平和、安定、調和を実現できることになるだろう。
・アムネスティーのハガキ・キャンペーンのリンクを貼ったら、「なぜだか」リンク先に飛ばなくなっていたので、ここに新しいリンク先と一緒に、ハガキの書き方を書いておきます。(リンク先に行けば、PDFでハガキのひな形をダウンロードできます/もし、まだリンク先が生きていればだけれど)
ハガキの表:
中国 100016
北京市 国家主席
胡錦濤 主席 收
CHINA
あと、自分の名前と住所を書いて、70円切手を貼ってください。
ハガキの裏:
Date(日付)
Dear President,
I am writing to express my grave concern about the on-going crisis
in Tibet. According to the official Lhasa Evening News, a Strike
Hard Unified Checking Campaign, launched on 18 January in the
region's capital, includes "investigative raids" to residential areas,
rented rooms, hotels, guesthouses, internet cafes and bars. By 24
January, police had detained 81 suspects, including two for having
"reactionary opinions and reactionary songs on their mobile
phones". I therefore call on Chinese authorities to release those
detained for peacefully exercising their freedom of expression,
association and assembly. Journalists should also be allowed full
and unimpeded access to Tibet and surrounding areas. Additionally
the Chinese authorities should as a matter of urgency account for
all those who have been killed, injured or gone missing, and for all
those detained, including their names, whereabouts, and any
charges against them.
Please release all the political prisoners including Ven. Jigme Guri
from Labrang Monastery in Gangsu immediately.
We are gravely concerned about his safety.
Respectfully Yours,
チベットで現在も続いている危機的状況について深く憂慮しています。
官製新聞のラサ・イブニング・ニューズによれば、1月18日に首都ラサ
で「厳打統一点検キャンペーン」が開始されました。このキャンペーン
により、居住地域やアパート、ホテル、ゲストハウス、インターネット
カフェ、バーへの「強制捜査」が実施され、1月24日までに、警察は容
疑者81人を拘束し、そのうちの2人は「携帯電話内に反動的な意見や歌
を有していた」という容疑であったとのことです。それゆえ私は、自ら
の権利を平和的に行使しただけで拘禁されたすべての人びとを速やかに
釈放するよう貴政府に要請します。また、ジャーナリストが障害なく現
地に入り取材が出来るようにすべきです。そして、貴国当局が緊急に対
応すべき課題は、殺害、負傷、行方不明になっているすべての人々の名
前、所在、彼らに対する容疑について詳細を明らかにすることです。
また、甘粛省のラブラン僧院の僧、ジグメ・グリを含む全ての政治囚を
今すぐ釈放してください。
私たちは彼の安全をとても心配しています。
Signature(署名)
2009年3月17日火曜日
アムドはラブラン寺のジグメ・グリのこと
ソースはこのブログ:High Peak Pure Earth
(チベット語や中国語で書かれたチベットに関する鋭い記事やブログを英語に訳している、有益な情報が沢山あるブログ)
ジグメの記事
1 VOA: Video Testimony of Labrang monk Jigme
2 Labrang monk, Jigme, arrested
ジグメ・グリのこと
ジグメ・グリ(ジグメ・ギャツォとしても知られる)42歳は、アムド地方(甘粛省)のラブラン寺の僧侶である。彼は、ラブラン寺の僧侶たちによる2008年3月14日の大きな抗議活動には参加していなかったが、3月22日に中国当局が僧院を捜査した際、任意的に拘束された。彼は拘束中、ひどい暴行を加えられた。釈放され、2ヶ月入院したあと、素晴らしく勇敢なビデオ声明をボイス・オブ・アメリカに出した。そのビデオ声明で、彼は顔を出し、自分の本名を使った。ビデオ声明は2008年9月3日にボイス・オブ・アメリカで放送され、その中でジグメが体験したひどい拷問や、虐待の数々や、中国当局の破壊的なチベット政策、そしてチベット問題の解決策の可能性を語っている。この後、僧院に戻る前に彼は身を隠したが、後日11月4日に再度拘束された。
彼は現在 蘭州の特定不可能な場所に拘束されている。
このビデオはVOAのチベット語放送でアムドの言葉をジグメがしゃべる為に、ラサ語の字幕をつけて流しているが、このブログポストをした人が長大な英語訳を下にのせいていた。ちなみに20分のビデオを英語訳に落とすって、並大抵のことじゃない。この声明文を読んでチベット人の友達に聞かせていたら、泣いてもなんにもならないと分かりながら、わたしたちは涙と鼻水が止まらず、怒りとやるせなさで胸がいっぱいになった。
何人も、何人も、同じ思いをしている人がいて、そういう元囚人たちに会ってきた。だけれど、中国当局の本当に汚いチベット人への差別や投獄、拷問方法の話を聞くたびに、経済問題やなんやかんや言って、人の命や人権問題を腫れ物をさわるみたいに扱う世界中の指導者たちに憤りを感じる。もし、拷問を受けているのが、自分の愛する妻だったり、夫だったり、息子だったら、黙ってはいないだろうに。
ジグメが所属するラブラン寺はアムド、甘粛省にあり、去年の、ここの僧侶たちによる大規模な抗議活動の様子はチベット外にも伝わって来た。私もここから来た元僧侶を知っている。彼も、大変な思いをして亡命をしてきた。やはり、とても勇敢な人である。
このビデオの中では1回目の投獄の傷から回復し、大柄な体で健康そうに見えるジグメが今また、どこかに投獄されている。ここで述べられているよりも、もっとひどいことをされている可能性もある。
まず、ラブラン寺のジグメは無事なのか? ちゃんと、生きているのか?
声明文の日本語訳(英語からおこした) パート1
(*これは、20分のビデオからの翻訳であるが、一語一句は直訳されていない。中国公安局の名前や拘束中の電気器具などは、チベット口語体からの翻訳で、実際には正確ではない可能性がある)
今年、チベット暦2月の15日目(西洋歴で2008年3月22日)、僧院での集会が終わり、私は市場へ行った。タクシー乗り場の横に座り、靴を修理してもらった。僧院へ帰ろうしたとき、私の携帯電話が鳴った。だけど番号が見えなかった。すぐに、白い車が現れ、私の目の前に止まった。4人の軍人がでてきて、私を逮捕し、車まで引っ張っていった。後ろを振り向くと、尼僧がいた。私は、「尼さん、尼さん!」と数回叫び、彼女が私が逮捕されたのを目撃したことを確認した。一度車に乗ると、彼らは私の頭を黒い布でおおい、手錠をはめた。頭に銃をつきつけられ、体を押さえつけられた。彼らは武装警官のゲストハウスに私を連れて行った。
ゲストハウスは、地元の警察署の裏側に会った。彼らは私の頭から布をとったが、手錠ははずさなかった。その後、私の体を捜査し、携帯、財布、その他すべてを奪った。私の手は後ろに結ばれ、イスに座らせられた。若い兵隊が、自動機関銃を私につきつけ、中国語で、「これはお前を殺すための銃だ。絶対にお前をこの銃で撃ち殺してやる。お前の死体をゴミ箱に捨てても、誰も気づかないだろう」これを聞いたとき、頭に突きつけられた銃のことなど怖くなかった。怖かったのは、この男は兵隊であるだけでなく、公安局の人間で、法を執行する役人であり、そのような人間が、一般の市民に銃を向けて、このような台詞をはいている、という私の思考だった…(それはとても悲しいことで)私の心はまっぷたつに割れんばかりだった。
力を持つ国籍の者が、小さい国籍を持つ者を嫌がらせして、大きな国家が小さい国籍を持つ者を殺すために武器を作っている、これだその出来事に表される。もし、こんな低い位の人間でさえこんなことをしているということは、上の位の人間はもっとひどいことをしているに違いない。
拘束中、よく彼らが聞いた質問は、「ダライ・ラマがお前を扇動したのか?、ダライ・ラマが略奪、火災や破壊活動をするように指示したのか?」「ダライ・ラマをどう思う?」ということだった。私は仏教徒で、ダライ・ラマは私の命、心、魂だ。私1人じゃない。600万人のチベット人全員にとって、ダライ・ラマは今世だけでなく、来生をもの精神の拠りどころとなるお方だ。ダライ・ラマは世界平和を目指す、そのとてつもない努力により、多くの人から尊敬されている。彼は世界平和の擁護者で、非暴力の道を築かれた。ダライ・ラマは絶対にそのようなことを人に呼びかけない。私のような一概の僧侶でさえ、略奪、火災や破壊活動をするよう誰にも駆り立てることはできない。
ダライ・ラマ法王は600万人のチベット人の魂だ。彼と私たちを分離させることはできない。チベット僧として、歴史的に私たちは、師弟の関係にあるのだ。私たちはこの関係を続けねばならない。
私たちにはダライ・ラマへの揺るぎない信仰がある。「ダライ・ラマをどう思うか」という質問に、このように私は答えた。
拘置所で数日間拘束され、刑務所に連れて行かれた。刑務所では、兵隊たちが中国語で「1、2、3」と号令をかけた。我々のうちの何人かは中国語が理解できず、彼らは私たちを叱りつけた。彼らは、「アニマル」「白痴」などと私たちを呼び、棒で殴った。なぜ殴るのか、と聞くと、彼らは「お前らが中国語を理解しないからだ」と言って、馬鹿にして笑った。
私は、「憲章や中国人民共和国の憲法では、違う国籍の者が済む地域では、その国籍の者が使う言語が使われ、その国籍の者が統治する権利が与えられなくてはならない」と記されているのに、なぜ、チベット人の地域では、チベット語が使われるかわりに『アニマルだ、白痴だ』とののしられるだけでなく、中国語を理解できないという理由だけで、肉体的な暴行をされているのか」というのが私の疑問だ。
それぞれの素行や年齢など関係なかった。例えば、14、5歳の僧侶や60から70歳の僧侶も逮捕された。抗議活動に参加したかしていないかなど、関係なかった。我々には服も靴も無かった。ふたりの僧侶が一緒に縛られ、車の中に詰め込まれ、連れて行かれた。薪を投げるように車の中に放り込まれた。手に傷を負ったり、骨折したりしていても、刑務所に連れいていかれた。親族や友達たちが、食事、洋服、寝具などを差し入れすることもできない。寒さに耐えるために、みんなで固まっていなくてはならなかった。私たちがチベット人だからという、それだけの理由でひどく暴行されたのだ。それをとても悲しく思う。
我々はカチュ(中国名Linxia)の刑務所に連れて行かれた。そこにいたのは中国人と回教(イスラム教)の中国人だった。チベット人は我々だけだった。毎日、はだしで尿と排泄物を取り除き、床を洗わなくてはならなかった。刑務所では、僧の袈裟をとり、一般の服装をしなくてはならなかった。私は仏教僧であり、袈裟を脱ぎ、一般の服装をして、手錠をつけられて、裸足で車にのせられることなどは屈辱だ。刑務所の状態はとても貧しく、飲食物や、着るものも満足になかった。顔を洗う為のタオルでさえもそこにはなかった。
私はそこに1ヶ月拘束され、手錠をかけられたまま同じ体勢で何日も何夜もすごさねばならなかった。尋問の最中、私が「外と連絡をとった」と糾弾された。ダライ・ラマ、サムドゥン・リンポチェ、そしてアジャ・リンポチェに連絡をとったと認めなくてはならなかった。それと同じように、学者や教師などの連絡先が他にもあるとも言われた。「おまえは活動に参加していたし、組織を指示していた。外の地方にも沢山電話で連絡をとった。それで一体なにをしたんだ?チベット国旗をどこで印刷したんだ?何枚印刷した?おまえの組織には何人いるんだ?」
「お前にはこの罪を認める以外の選択はない」そういうと、私の手をロープで縛り、数時間ほど吊るし上げられた、、、天井から吊るされ、私の足は床から離れていた。そして、彼らは顔、胸、背中を拳で思いっきり殴った。あるとき、ついに、私は意識を失い、病院へ連れて行かれた。
病院で意識が回復すると、また刑務所に連れて行かれ、前と同じように吊るされながら暴行された。結果的に私は再度意識を失い、また病院に運ばれた。2回目だ。私はあるとき、2日間連続で、食べることも、水を一滴も飲むことを許されず、暴行され続けたことがある。腹と胸の痛みがひどかった。2度目は、病院で6日間意識不明の状態にあり、目をあけることも、しゃべることもできなかった。
死にそうになっていたところ、彼らは私の身柄を家族に引き渡した。釈放されるとき、拘束していた連中は、地方当局に私を暴行していないと嘘をついた。そして、私の家族にも同じ嘘をついた。そのうえ、「私に暴行は加えられていない」と書いた書類に、私は、無理に親指の捺印を押させられた。
私は20日間病院にいなくてはならなかったし、およそ20万元(日本円で30万弱)の治療代を支払わねばならなかった。
私が僧院に戻ったとき、友達が180人の僧侶が逮捕されたと言った。僧侶たちはなにも悪いことをしていない。年寄りの僧侶や師匠も逮捕された。彼らは夜じゅう、つま先立ちにさせられ、銃のうしろで、背中を殴られた。僧侶たちの首に暴行しながら、中国人たちは携帯電話で写真を撮っていた。
僧院が捜査されているとき、警察官と兵隊たちは、仏像やお金、個人の所持品や食物を僧院や僧侶の住居から盗みだしているのを見つけた。中国共産党の兵隊たちこそが、本当の略奪者で殺人者なのは明白だ。彼らこそが非合法の行いをしているというのに、我々が逮捕され、暴行され、拷問され、殺されているのだ。
我々はさらにダライ一派と共謀して一般大衆に暴動を扇動していると、糾弾された。もし本当に人種間の平等、表現の自由、宗教の自由があるなら、どうして私たちは心の中から信仰する対象を敬うことを許されないのだろう?
我々の目の前で、彼らは尊い方(ダライ・ラマ)の写真を足で踏みつけ、銃の後ろでフレームを壊し、写真を粉々に破って、火に燃やした。もしチベット人たちが窓枠を壊したら、彼らは数百万元の損害だ、と言う。
私たちが最も慕うお方の写真を足で踏みつけられた、私たちの心への損害はどう測るのか?
中国の指導者たちは調和のとれた社会を作り上げるのが目的だというが、それと同時に私たちチベット人全員が敬い、精神の指導者と表するダライ・ラマを中傷する、、、私たちの価値感が見くびられ、踏みつぶされながら、私は一体どうやって調和を感じればいいのか?
(パート2につづく)
*パルデン・ギャツォを釈放するキャンペーンとしてもとても有効だった、アムネスティーのハガキ書きキャンペーン、今実施しています。
空欄に
"Please release Ven. Jigme Guri from Labrang Monastery in Gangsu immediately. We are gravely concerned about his safety."
と書いて出しましょう!
・epeaさんからのコメントで言われたのですが、なんと、アムネスティサイトのリンク、落ちていました、、、どこかの国のかたが、故意的になさったかどうかは分かりませんが、新しいリンク貼っておきました。
2009年3月16日月曜日
請願者、北京のダウンタウンの建物から1万枚のチラシをばらまく!
Petitioners Drop Ten Thousand Leaflets from Building in Downtown Beijing請願者、北京のダウンタウンの建物から1万枚のチラシをばらまく
エポックタイムス

3月11日
20人近い政府への請願者が北京のダウンタウンの10階建ての建物から、1万枚のチラシをばらまいた。請願者たちは、警察が現場に出動する前に無事に、建設現場で働く人の協力で、安全な場所に逃げることができた。
当局は、2つの重要な会議中であったため(中国共産党国家人民議会と政治協議)に沢山の警察をそのエリアに動員していたが、請願者はゲリラ方式で行うので、抗議活動は頻繁に起きている。今年は、請願者は彼らの請願を散在するチラシや、抗議活動を申請したり、焼身したり、あるいは、警察車を破壊したりして表現した。
北京の人権活動家のTang氏は、「今日、18人が建物の屋上からチラシをばらまいた。すぐに、およそ100人くらいの警官がおしかけ、建物を捜査した。しかし、請願者たちはすでに建築現場の労働者になりすまして、身を隠している」という。請願者、Wang Yongcheng は全ての経過を目撃した。彼は、「白いちらしが、高い建物の屋上からばらまかれているのを目撃しました。6人の人が私を保護していたので、私は動けなかったのですが、多くの人がこの事件を目撃していました」
請願者たちによると、2つの会議の開催中、多くの請願者が、State Bureau of Letters and Callsの前で、アピールをし続けている。数千人の請願者たちが毎日、北京のMajialoutoやJiujingzhuangの 救済センターに拘束されている、という。
Wang氏はまた、こう言い足した。「今日の午後、私はState Bureau for Letters and Callsから登録番号を受け取りました。ー登録番号は910番ですー およそ千人の請願者が外に並んで待っていました」…
2009年3月15日日曜日
NYTimes のチベット関連の記事ふたっつ
読み応えがあるが、ジャーナリストとしての品格を保とうとしていて、我々チベット支援者にはミクストメッセージにとれるところがなきにしもあらず。しかしながら、中国人でさえ知らないチベット、というのを締めくくりにもってくるのは興味深い。
そうとう怒っているな、ともとれる。がんばれ、エドワード!
The Heights Traveled to Subdue Tibet
チベットを征服するために旅された山々
New York Times
Published: March 14, 2009
Article by: Edward Wong
MAQU, China
民兵の将校が我々のパスポートを没収した。真夜中に近い時間で、チェックポイントで彼と数人の同僚たちが雪のつもる山道に止められた我々の車のまわりに立っていた。5日間で、西中国のチベット地域への旅は唐突な終わりを迎えた。
同僚と私は警察が来るのを待った。我々は地元の警察署に同行され、尋問され、北京に向かう飛行機へ乗せられるのだ。
「これはあなた方の安全のためです」その民兵将校は言った。
2週間前のこの拘束はべつに期待はずれのことではなかった。私は中国政府の目からみたら、もっともデリケートな問題のひとつである、チベットについてレポートをしていたのだから。そして、私は、政府がどのような騒動をも弾圧しようと数千の軍を配備しつつあるチベットの青海省、甘粛省を旅していたのだから。
多くのチベット人たちは中国による支配に憤りを感じている。そして、中国の指導者たちはチベット人たちが、不成功に終わったチベット民族蜂起50周年に備えて、1年前と同じような広範囲に渡る抗議活動を行おうとしていることを恐れている。公安軍の目的のひとつは、外国人を(そのエリアから)退去させ、チベットで何が起きようとも、その事実を世界から隠すことだ。
これは、勿論、いつもチベットにまつわる問題の一つだ。今月の中国による取り締まりは、この山々の王国を外の世界から閉め出そうとするチベット人と中国人による長い歴史の、最新のエピソードにすぎない。チベットのほとんどのエリアは山々に囲まれた海抜15,000フィートの遠く離れた高原にあり、チベットに関するニュースを取得するのはいつでも困難だった。政府の南京錠が「その門」に加えられた今は、それを特別に難しくしている。
チベットにベイルをかぶせられることにより、外者は自らの想像や欲望をこの隠された地に投射することを促し、それは時々悲劇的な結果をもたらした。
それは、19世紀にも起こっている。英国とロシアがこぞって中央アジアに影響をおよぼそうと熾烈な闘いをしているとき、チベット当局は外国人をチベットから閉めだすことを決めた。その閉鎖そのものが探検家、スパイ、布教者、植民統治者や仏教家たちがチベットの首都ラサにこぞって押し掛けることに拍車をかけた。
英国は1904年の残忍な軍侵略によってラサへの道を固め、他の外国人を閉め出した。その後、中国共産党軍が1951年にチベットを侵略し、この地を閉鎖し、数十年に渡る弾圧を行っている(「地上の地獄」をもたらした、とダライ・ラマは火曜日に言っている)。
中国はだんだんとチベットを旅行客に開放しだしたが、市民による騒動が起こるたびに、すぐに閉鎖した。
「チベットが歴史的に人々を魅惑し続ける理由の大部分は、まさに、現代世界から触れられず、侵入者を受け入れないという、その閉鎖状況が生んだものだ」西洋がチベットに息長く弾かれ続けることについて書かれた「バーチャル・チベット」の著者であるOrville SchelはEメールのメッセージでこのように語った。「そこには西洋人に対し、中国がチベットの神秘的な魅力の大部分を取り除きつつあるという成功と、今やそれを余儀なく「閉鎖する」いう義務を感じている事実に皮肉がある」
19、20世紀にチベットに侵入した西洋人たちの歴史は Peter Hopkirkの著作「Trespassers on the Roof of the World」に綴られている。旅人たちはしばしば吹雪や山道、山賊の襲撃などを耐え抜き、ラサまであと少し、というところで高位のチベット僧たちによる軍隊によって止められた。時々彼らは囚人としてとらえられ拷問を受けた。(私に関しては山道は決して悪くなかった。民間将校たちは武器を私たちにつきつけなかったし、我々が車に座っている間にホットミルクを用意してくれた)
1879年、ロシア帝国軍のNikolai Prejevalsky大佐は武装したコサック達につきそわれ、チベットの首都を目指したが、ラサまで150マイルのところでチベット人当局たちによって止められた。彼は引き返した。
18年後、英国人の探検家A. Henry Savage Landorはラサへの道で拘束され、地方長官のところに連れていかれ、台のうえに24時間つながれるなどの拷問をうけた。釈放後、彼は英国に戻り、自らの監禁についてのベストセラーの本を書いた。
一方、ラサまでたどり着くことができた人々の大半は、変装していたという。大英帝国によって雇われた何人かのインド人スパイたちは聖人を装った。日本の仏教徒、河口慧海は中国人の医者を装った。フランス人の女性で、チベットの言語と文化に長けていたAlexandra David-Néelは1923年に巡礼者を装い、ラサに足を踏み入れた西洋初の女性だ。
それまでには、チベットのニュースは世界中に漏れだしつつあった。それは、Francis Younghusband卿によって導かれた英国軍探検隊により始まった。マキシム銃とエンフィールドライフルを使い、兵隊たちはインドからのマーチで、数千人のチベット人を殺した。チベット人たちは、チベット内に英国が貿易代理人を駐在させることができる、という条項が含まれた、英国との条約を強制的に結ばされた。英国はそして、外国人をチベットから閉め出すための精一杯のことをした。
英国がチベットを侵略したとき、ロシアがすでにそこに足場をもっていると考えてたが、ロシア人たちの影響を見つけることはできなかった。それは、それまでダライ・ラマ13世がチベットを閉鎖することに成功していたからだ。その成功そのものが、英国が彼らの想像の空白を埋めることを促した。彼らロシア皇帝主義の陰謀を妄想し、それに基づき、ひどい暴力を用いてチベットをほじくり開け、妄想を遂行した。
数十年後、チベットの自治が1951年に終わると、恐ろしいキャンペーンを取り入れて、数えきれない僧院を破壊し、僧や尼僧を起訴し、中国はチベットを近代化し、外国人旅行者たちに開放した。私は中国のチベット地域を1999年に旅行し、2001年には僧院から僧院へとハイキングしながら、ラサと中央チベットで5週間を過ごした。
しかしいま、私は中国でジャーナリストとして仕事をし、チベットに入るのはもっと困難な身にある。全ての外国人ジャーナリストたちは法的に中央チベットに入るためには、滅多にはもらえないことになっている許可書が必要である。
中国人はチベットに旅行はできるが、かの地は遠い。中国人がチベットを知りうるのは、オーウェル調の中国政府のプロパガンダからのみである。公式な説明によると、例えば、ダライ・ラマは「仏教僧の袈裟を装った狼」と言い切る。
青海省のチベット地区で働く私の中国人の友人は、彼が、赤い袈裟を着た僧たちとの写真を友達に見せると、ショックの目で見られるという。「怖がっているんだ」彼は言った。「彼らは『何やっているんだ、この人たちは誰なんだ?』と言う。どうやって反応していいかわからないんだよ」
このような混乱は、先週NYタイムスのウェブサイトで行われたチベットに関する討論に参加した中国人の意見にもエコーしている。
「真の中国人である私に出さえ、チベットは遠く、神秘的な場所だ」、読者はこのように書いている。上海のCao Weiからだ。「私にはこれらのことがいったい何なのか、さっぱり分からないです。」
チベットの残忍行為が中国公式の歴史展覧会に記されるTibet Atrocities Dot Official China History
New York Times
Published: March 12, 2009
Article by: Andrew Jacobs
北京
チベットから去ったものは、足かせをはめられた奴隷たちや、主を拒んだ農奴たちに待っていた親指をねじで締める拷問具やサソリ穴だという。でも、去ったものの中には、「仏教僧の袈裟を装った狼」で今週で50周年を迎えるチベット民族蜂起の際にインドに亡命したダライ・ラマもいる。一方中国は、それはダライ・ラマが封建的な支配を続けるためだ、と言っているが。
外国人ジャーナリストに閉ざされたチベットでは、最近唐突に、そしてミステリアスに、電話やインターネットが不規則に機能するようになり、今日、近代チベットをかいま見るには、「民族の文化パレス」を訪れ、社会主義の「砂糖菓子」的な味付けを施された最近の展示、「チベットの民主化改革50周年」を見る道しか残されていない。この展覧会は、日ごとにバスで乗りつける兵隊、学童、そして政府当局からべた褒めされている。
身の毛もよだつ拷問器具や、粒子のあらいフィルムには、損傷をおった顔や、「解放」されて喜ぶチベット人たちのショットがうつされたものが展示される。この展覧会は、こちらの世界では「慎重にあつかうべき時代」として扱われているものが、共産党バージョンのゆるぐことのないチベットの歴史を色濃く顕示し、宣伝報道者(プロパガンディスト)の大傑作にしている。
土曜日は、チベットの「独裁的で神政主義統治からの解放」の50年をマークするだけではなく、19人を殺したラサでの暴動とそれに続いた政府による高圧的なリアクションからの1周年で、その軍備は最近でも、チベット人たちが多く居住するエリアで強化されるようになった。
去年の3月の騒動は、数十年に渡るチベットへの寛大な投資により、長く続いていたチベット人の北京への憤りは当然和らげられた、と考えていた当局には驚きの出来事だった。
先月から始まったこの展覧会は、外国人研究者たちの論点である、チベットのわずかな独立期間の存在をもみ消そうとするもので、中国支配によって、いかに肯定的な変化がチベットに訪れたかを、息も出来ないくらいの詳細をもって展示している。「民主化改革により、農奴や奴隷たちは幸せな生活をすることができ、その結果に彼らは大きな熱意を見せた」と、展示のはじめから終わりまでビジターたちを案内するシルクのチベット民族衣装を着た、陽気な漢民族出身者の一人はアナウンスした。
展示はまた、ダライ・ラマは分離主義の心情をひろめ、大衆受けをねらっている、という政府の長年の言い分を強調しようとしている。「ダライ一派の復興ファンタジー」と題されたひとつのパネルは、ダライ・ラマが諸外国の力や西側ジャーナリストたちを後ろ盾にして、再び力を得て、中国を分離させようとしている、という主張でその証拠を紹介している。
展覧会の感情的なピークに、大喜びしながら封建主義的文書をたき火につっこんでいるチベット人たちを写した、原寸大ジオロマを持ってきたこの広大な展示の文章には「歴史は正義を下すだろう」と書かれている。「この50年の発展で、チベットは暗闇から光に、貧困から裕福に、専制君主から民主主義に、隔離から解放に移行した」。
西側の学者たちは中国政府の解釈する歴史に抵抗し、チベット人亡命者グループは共産党を制圧的な占領者としてとらえるが、そのような反対心情は、公表基準にのっとって作られた公式の教科書やテレビや新聞の情報を、長い間吸収してきた一般の中国人には通じにくい。
電気関係のセールスマンで天津からやってきたDai Zhirongは火曜日に展覧会を後にしながら、彼が展覧会で見たものはダライ・ラマへの軽蔑やチベット人に対する失望をただ再確認しただけだ、と言った。「なぜ彼らが我々の食べ物を食べながら、我々を嫌うのかが分からない」 テレビでこの展示会のプロモーションを見て、やって来た57歳のDai氏は言った。「真実を説かれ、分離主義者たちがなにをしようとしているのかを見ると、私も彼らを嫌いになるだけだ」。
泥の中の蓮になる
南無妙法蓮華経、についてとか。
その中で、泥の中に蓮(ダルマ=ブッダの教え)を咲かせる、
と彼が言ったことが頭に残った。
世界は残酷だし、厳しいけれど、そこに立って生きている私たちひとりひとりが
その状況を手にくみとり、行動を定めたり選択し、発動することができるということ。
それができるようになるまで、時間がかかるし(年をとる)
できるようになると、苦しみから離れていくということ。
でも、逃げることではなく。
中道の深み。
中道にはいくつかのレイヤーがあり、
その深みには慈悲が深まるとすんなりと、いけること。
でも、それが難しかったりする。
いま、私の中で、そういう変化が道のりの中でなんとなく見える時期にある。
その変化を確認できたら、見えないが支えてくれるエネルギーに
感謝をしなさい、と彼は言った。
そうすることで、もっと支えられる、ということ。
祈るかたちである合掌は印と同じで、
それをすることで、肉体のエネルギーの動きがかわり、
魂と直結するというか、「祈りやすく」なるらしい。
こういう時期に、色々な縁でつながり、見えない相手と深い会話をするのは
これも縁なのだろう。
ほんとうの感謝はかたちで表せないが、
心に広がるあたたかいエネルギーこそが、とも思う。
そういう渦のなかにいることが、生きることだ。
甘孜(カンゼ)での出来事
2008年騒乱から1年後の甘孜(カンゼ)での抗議活動
| Phayul |
ダラムサラ、3月14日 3人の若いチベット人たちが甘孜で中国政府への抗議活動をした後に逮捕された。これは、去年の3/14にはじまりチベット中に広まった抗議活動からちょうど1年のこと。ボイス・オブ・チベットがレポートした。 情報筋はベルギーからであるとし、ボイス・オブ・チベットは、ダワ・ツェリン(25歳)、ドンドゥップ(24歳)、ロブサン・ニャンダック(25歳)は「ダライ・ラマ万歳!」「チベット中の政治囚に釈放を!」「ダライ・ラマのチベット帰還を許可せよ」そして「チベットに独立を!」とスローガンを叫んだ後に、激しく暴行されたと伝えた。 3人は、甘孜の人民病院の前にある新刑務所に連行された。彼らはまた、ダライ・ラマ法王の長生とチベット問題のすみやかな解決を祈り、チベットの祈りの旗を結んだという。 3月11日の別の事件では、甘孜はロパ区で3人のチベット女性が短い講義活動をし、暴行され、人民病院前の刑務所に連行されている。情報筋によると、3人はチョツォ(17歳)、ツェテン・ラモ(17歳)、そしてツェリン・ラモ(17歳)として身元が判明されている。 3月12日木曜日にはひとりのチベット人が道ですぐに逮捕される前に、抗議活動をしたという。 |
2009年3月14日土曜日
"世界の目からチベットを閉ざす中国"
世界の目からチベットを閉ざす中国
英紙テレグラフ より
posted by Malcolm Moore at 3/11
「外国人ジャーナリストは自由に取材活動をしてもいい」とオリンピック後に中国が約束したにも関わらず、当局はチベットだけでなく、チベット人居住区のある西中国の一部を閉鎖した。
ダライ・ラマ亡命から50年の記念日ということで、中国は地域の絶対的なコントロールをしたがり、2月末には全ての外国人のチベットへの立ち入りを禁じた。中国政府は、チベット周辺の甘粛省、青海省、四川省もレポーターたち(そして他の外国人)から閉ざすことを決定した。
これが、中国の外国人記者クラブから発表された全文だ:
中国の外国人記者クラブは中国政府に、広がりつつあるジャーナリストの拘束を今すぐ止め、チベットをニュースのカバー対象として開放することを要求する。
去年のチベット暴動から1周年がたとうとする先週、甘粛省、青海省、四川省のチベット人居住区に立ち入ろうとした、少なくとも6つのニュース会社のレポーターが拘束され、突き返され、または、テープを没収されている。
これは外務省が2008年10月に作った規則:「外国人レポーターはチベット自治区の外なら、先に申請許可を取らずに自由に旅行ができる」という規則に反している。
NYタイムス紙の二人のレポーター、Edward WongとJonathan Ansfieldは人民軍警察のメンバーと甘粛省の公安局によって2/27から20時間の間、拘束された。その後ふたりは、蘭州(甘粛省の省都)に宿泊を脅迫され、翌日には北京ゆきの飛行機に乗せられた。Wongが拘束した人物の写真をとろうとしたとき、彼は腕をつかまれ、カメラを壊された。二人と一緒に同時期に旅行をしていた日本人と、地元の運転手も同時に拘束された。運転手は尋問と恐喝の対象となった。
3/9、イタリアのANSAニュース・エージェンシーのBeniamino Nataleと二人の同僚は僧院を訪ねた後、青海省のGuinan郡で2時間以上拘束された。その前日には、スペインのテレビ局TVEのプロデューサー Isabel Hormaecheと彼女のクルーが四川省は甘孜で警察により拘束されている。そして彼女たちは200キロさきまで同行されて、追放された。
同じ頃、フィンランドテレビ局の Katri Makkonenは貴州省から青海省までの道で、何度か拘束を繰りかえされ追跡されている。警察は彼女の運転免許書を没収し、さらに彼女がどこで何をしていたかを説明する調書を書かせた。Makkonenは「我々を立ち去らせるわけにはいかないから、私たちといた中国人に圧力を加えたのは、卑怯だ」と言った。
共同通信のレポートによると、同社のジャーナリストたちは最近四川省で2回拘束された。中国の外国人記者クラブでは甘粛省の夏河で1月末、記者たちが追放される3件のレポートを受け取った。
それらの警察の行動の法的な説明は全くされていない。
「このような拘束はすぐに止められなければならない」中国の外国人記者クラブの会長Jonathan Wattsは言う。「このレポーターたちがチベット自治区のチベット人居住区を訪ねるのは、彼らの権利内でやっていること。レポーターたちを拘束したり、追放したりすることで、治安部隊が自らの行動に疑念を持たせている。政府は、チベット自治区や他のチベット人居住区を含む中国全土を開放するという約束を果たすべきだ」
以上テレグラフより
なにをそんなに隠したいのか? ー これにつきると思う。
2009年3月12日木曜日
いろいろ
昨日からずっと。
インドへようこそ。
Time Warner によると、昨日修理をしようとしたが、
問題のある場所にアクセスができず。
ふざけるなー!
・
というわけで今日はカフェから。
・
一昨日のせようとしたチベット運動を監視する中国領事館写真。
これはワシントンDCでの3/9のプロテストで友人が撮ったもの。

ほら、ビデオでプロテストを撮影するCowardsが!

少し近づいてみる。

撮っています。
いつものことです。
こちらも、撮りかえします。
NYでは中指を立てる領事館員もいますが、
最近は建物からではなく、
外に出てきて堂々とプロテストにいる人たちを撮っています。
・
福島香織さんのブログで記事を書いて頂きました!
チベット特集:雪の下の炎は消えず①
チベット特集:雪の下の炎は消えず②
インタビューの裏話もありです。
福島さんのブログ、果敢にもコメント欄が開けられている。
これを読むだけでも、大まかに言えば、
ネット社会、中国政府、それと関わる日本のブラックホールを感じる。
それに負けない福島さんは本当に素晴らしい。心から応援しています!
・
税金申告の準備をしなくては
2009年3月10日火曜日
March 10 + Ngawang Sangdrol la's speech
今日のマーチはマサチューセッツ、フィラデルフィア、ペンシルバニア、
ニュージャージー、ニューヨーク、コネチカットなどから
およそ3500人もが参加したという!

ほとんど全員がおそろいの白いTシャツとTYCの皆とボランティアが
寝ずに作った黒い旗を持って町中をスローガンを叫びながら闊歩。
まずはチャイナタウンだー。ほかにどこがあるー?

これだけ集まると、中国の方々もさぞかし、びっくりしたことだと思う。
みんな端のほうによって、見ている。
そしてタイムス・スクエア!

WHAT DO WE WANT? FREE TIBET! WHEN DO WE WANT IT? NOW!

ブルックリン・ブリッジ、チャイナ・タウン、42丁目イーストサイドの国連本部から
タイムス・スクエアを横切って街を縦断して、反対側のウエストサイドの川に面した中国領事館、
そしてユニオン・スクエアへ。
ものすごく寒かったけれど、がんばったよ。
途中にボランティアの人が作った大量のサンドイッチとバナナとお茶の差し入れも。
ほとんどの人は仕事を休んで参加していた。
今日、国連での集会でスピーチをした、あるアメリカ人女性がいた。
彼女は去年英語を教えるため、チベットにいた。
そこで急に暴動がはじまり、中国政府に身柄を拘束された。
そして携帯電話、コンピュータ、鞄の中身もぜんぶチェックされ、
アメリカ大使館に連絡もとれない状況にあった。
事件が。
持ってもいなかったチベット国旗が所持品から発見され、
法を守らなかったから、チベットから強制送還されるという。
旗を彼女の鞄に入れたのは、明らかに、中国側がやったことだった。
帰り際には「罪を犯した」という文章に強制的にサインさせられ、
その国旗を持って写真を撮られた。
彼女はその衝撃的な話を一気に話し、こう言った。
「このプロテストにも中国側のスパイが必ず何人かいるはず!
そして参加した人の写真を撮っているのよ。そんなことは分かっている。
でも、あなたたち、よく聞きなさい!
そんなことがチベット人を怖がらせると思ったら大間違いなのよ!」
ここで、大きな声援が。
そう、それがたとえインド、ネパール、あるいはアメリカの亡命地でさえ
中国政府はスパイを送り込み、チベット運動を監視している。
逃げも隠れもしないチベット人をそっと見ているのだ。
(あ、後日、それに関する写真をアップロードします)
あれだけの経済大国が、こんなに「せこい」手段で人々を脅すなんて。
でも、そうなんだよね。
彼らは共産党政府の力を守るため、人民の反乱を一番恐れている。
だから、いつもその動向を見守って、社会風潮を
徹底的にコントロールしている。
とにかく、、、
ここでプロテストから帰ってきて、がんばって字幕を入れてアップした
このビデオを見てください。
パルデンと同じ良心の政治囚人のひとり、ガワン・サンドルさんの
今日のユニオンスクエアから、素晴らしいスピーチ。
彼女は細い細いからだに、とてつもない精神力と勇気を持っている。
真のヒーローです。
彼女の説明はここで:http://www.tibethouse.jp/human_rights/nsandol.html
もっと詳しい説明(英語):http://www.savetibet.org/action-center/ngawang-sangdrol
彼女の本はこれ:http://www.transview.co.jp/06/top.htm
スピーチは「私の名前はガワン・サンドルです。家族は兄も父も政治的活動をし、
囚人になっていました。そのせいでしょうか、私も「フリー・チベット」と叫んで
平和的に抗議活動をしたことで、投獄されました」という最初の部分が抜けていますが、
見てください。
凛とした美しい横顔と、その声。
FREE TIBET NOW!
2009年3月9日月曜日
ロンドン「雪の下の炎」スクリーニング
とりあえず、ロンドン2日滞在の強行軍から帰ってきました!
今回のスクリーニングは、チベットサポートグループの中の老舗である
「チベット・ソサエティー/チベット・リリーフ・ファンド」が取り仕切ってくださいました。
なんと、チベット・リリーフ・ファンド=チベット・ソサエティー(多少ややこしいが)
1959年にダライ・ラマ法王が亡命されたあと、沢山のチベット難民がインドに来たときに
それをサポートし、国連などにも呼びかける為にできた団体だそうです。
ロンドンでは連日、マーチ、お祈りの会、マス・ロビイなどが行われ、
チベットサポートグループの人たちはとても忙しそうでした!
ロンドンのチベット・サポート・グループはFree Tibet、SFT、Tibet Associations、
とか沢山あるけれど、本当に横のつながりが強く、お互い協力し合って
最大の力を発揮しているのが、すごく良かった。
これは正直言って、他の国ではあまり見なかった光景でした。
7日のマーチのあと、久々にパルデンと再会。
寒そうにしていたので、お茶を師匠に持っていきました。
一番心に残ったのは、中国民主化活動家のシャオ・ジャンさんのスピーチ。
ある中国人ブロガーの方のブログを引用して
「チベットの人たちに自分が中国を代表して謝りたい」と。
最後にパルデンとあたたかい笑顔を交わしていたのが印象的でした。
ラリー後は、長年チベットサポートをロンドンで精力的にされている重鎮
若松えりさんにお会いしました。
「チベット人だと思った、日本人だと思わなかった!」
と
あまりにもチベット人によく言われる(チベット内でもそういわれた)ことを
日本人の方から言われたのははじめて!
私はネパールに行けばネパール人と、NYではマレーシア、ベトナム?と言われます。
それはおいといて。
とても明るく、そして思慮深く、優しいえりさんと
8日に沢山の時間を一緒にすごさせていただきました。
車で来てくださって色々連れて行っていただいたり、チベット関連のことなどを
ずーっと話していました。
ロンドンのグループは団体同士で団結が強いのがすごい!という話をしていて
えりさんは、本当はそうあるべき!同じ目標に向かって動いているのだから、
やはり協力し合う姿勢が大切!と言っていて、本当にそうだよ、と思う。
べたべた仲良くする必要はないが、同じ目標を目指しているということで
チベット人のグループも外国人のグループも結束を強めたら鬼に金棒だよ。
中国政府は仲間割れをしてほしいわけだからね。
さて、今は10日朝6:30です。
NYではブルックリン・ブリッジーチャイナタウンー国連本部ー中国領事館ー
ユニオン・スクエアという距離をマーチ。
すごーい距離です! また、声をなくす人続出でしょう!
2009年3月8日日曜日
"Bloody incredible"
2009年3月6日金曜日
2009年3月5日木曜日
記事 (Searchina)
今年の3月10日はチ ベット民族蜂起の50周年。中国では動乱とされ、これを制圧してチベットを封建農奴制から解放したという。だがチベット人は中国共産党からダライ・ラマ 14世を守るために命がけ立ち上がった民族の誇りを呼びさます季節という。普段、歴史の恨みと独立への思いを胸の奥にしまっておとなしく生きている人たち も、小さなきっかけで、激情をほとばしらせることがある。昨年の3月14日のように。
チベット問題について外国人がなにかを言うと、 中国人はたいてい内政干渉だと怒る。無責任に扇動するなと。私も実は、自分自身が日本という安全な国にいるのに、チベット人の気持ちをさも分かった風に 言ってよいのだろうかと後ろめたさを感じることがあった。また、ダライ・ラマを忘れて繁栄の階段を順調に登る中国とともに市場経済の恩恵を受けて暮らす方 が、かなわぬ独立を望み流血を呼ぶよりよほど建設的ではないか、とも思った。
だが、そういう疑問に対して、最近出会った人が明快に答 えてくれた。ニューヨーク在住の若き女性ドキュメンタリスト楽真琴さん。33年間政治囚として投獄され、あらゆる拷問に耐えて生き抜き、今もチベットの自 由のために命がけで自らの体験を訴えている不屈のチベット僧パルデン・ギャンツォ師(78)のドキュメンタリー映画「雪の下の炎」を制作。昨年のトライ ベッカ・フィルム・フェスティバル(NY)でプレミアム上演され、高い評価をえた。ちょうど日本でも今春上映されるということでプロモーションのために帰 国していた。
彼女はパルデン師の精神力と寛容さに魅せられ約4年かけて取材し、死を覚悟した2006年トリノ冬季五輪でのハンガース トライキの現場も見てきた。ダライ・ラマ14世にも直接インタビューし、チベットの精神というものを肌で感じてきた人だ。その彼女のフィルムには、鍛え抜 かれた鋼のような強靱で美しい独立への祈りが映し出されていた。いかなる身体的苦痛をも乗り越えほほえむことができるというチベット仏教の真髄が独立の希 求の中にあった。
「チベット独立は外国人だから言える、言わねばならないメッセージ」と彼女は断言した。ダライ・ラマ14世自身が独 立をあきらめ自治を主張している以上、チベット人の大多数はそれに従おうとするし、厳しい弾圧と統制と“学習”の結果、独立という言葉を自ら封印する人も 多いだろう。だが傍観者にすぎない外国人は、それを言葉にして言ってもいい。心の奥底に封じ込めた気持ちを分かっているのだ、と伝えるだけで、小さな希望 の炎は永遠に溶けないかもしれない万年雪の下でも燃え続けることができるのだ。
楽真琴監督「雪の下の炎」はアップリンク配給で3月10日、13日にプレミアム上映会が行われる。写真はイメージ。(執筆:中国ウォッチャー 三河さつき)
2009年3月4日水曜日
NY
寒いです。0度だそうです。
・
中国の人民大会がテレビ中継されている。
温首相は強気な経済回復策をアピールしている。
失業者数も実は言われている倍はあるかも、と分析されていた。
・
その裏ではNYタイムスで
「民族蜂起運動から50年、チベットにおける取り締まり」
というタイトルでニュースが。
去年の暴動から1年、来週の民族蜂起50周年を前に控え、
非公式の戒厳令が当局によってチベット中にひかれた。
最悪の状態に備え、四川大震災以来の大規模な軍が配備されている、という。
最近チベットに侵入して、拘束され、送還されたジャーナリストによる写真も。
厳重な軍配備の様子は去年の暴動を思い出させる。
時差ぼけなので、訳さないが、
ニュースは以下のように占めくくられている。
チベット人たちは来週の民族蜂起記念日には何が起こるか想像がつかない、
と言っている。
先週ダライラマは、中国人たちによって挑発されないように。
もし、過激な行動を起こせば中国政府に厳しい制裁を加えられる
口実を増やすだけだ、とチベット人たちを促した。
「命を犠牲にすることで、意味ある結果は得られないだろう」彼は言った。
2009年3月3日火曜日
雑感
雪。
・
チケット完成!
日本の映画のチケットの前売り券は美しい!すばらしい!
だが、束を数えるの大変だったよ。
その点、アップリンクの神田さんは天才的にうまかった。
さすが。
・
父がコピーしてくれたオスカーのDVDを見る。
私としては俳優賞でショーン・ペンが賞をもらったのは不本意だったが
でも、MILKでの彼の演技はたしかに素晴らしかった。
Kate Winslet のスピーチに目頭が熱くなる。
「パパ、この場にいるはず、いたら口笛を吹いて!」
ミッキー・ロークのThe Wrestlerはプロレス映画ではなく
素晴らしい人間ドラマです。先入観をもたずに多くの人に見てほしい。
ミッキー・ロークが這い上がったこと自体がこの映画の内容とつながっていて
これはある種ドキュメンタリーに近い。
・
イタリア語の翻訳をやってくださる方が見つかりました。
色々な方に投げていたのだけれど、皆さん熱心に探してくださっていたのですが、
どうしても今夜中に定まらないと、私の胃は痛む一方になるところだった。
やってくださる方とは奇跡的な縁でつながった。
チベットサポート、あるいはサポーター関係では本当にこういうことがある。
素晴らしいエッセイになると思います。
(あ、これは映画の公式サイトのあるイタリア人の方からのエッセイの翻訳だったのですが)
・
何かは分からないが、
大きなうねりに心から感謝。
2009年3月2日月曜日
東京
手に取るように把握できていた気がする。
最近は、だめだ。
人の心のあり方のみだけが見えて、
その他の社会学的な部分がだんだん見えなくなってきた。
例えばお店にいっても、そこにどういう人々がやってくるのか、
それはどういう社会的配置の店なのかが、だんだん分からなくなってくる。
群層心理がよめない。
プロモーションをやりにきているというのに、これはヤバいかも。
・
本日はプロモ最終日でしかも絶頂(なにが?ーいや、カフェイン摂取量が)。
5本のインタビューとプレス試写会。
プレス試写のほうには、こんどSongs for Tibet日本版をプロデュースされた
ミュージシャンのハイスタンダードの難波さんがいらして下さって対談を。
すごく純粋で優しい方。
最近まで沖縄に8年間住んでいたのだそう。
東京が彼を彼でなくしたから、リセットをしに行ったのかな。
リセットされたとおっしゃった。
・
ええと、DVDにつける撮影裏話的映像-Behind the Scene-を小出しに
ブログなどで出そうと思う。
初めてパルデンに会ったときの様子や、旅の様子、クルーの様子など。
ということは、また机の前に座るということだー。
帰ったらもっとヨガをせよ、わたし!
2009年3月1日日曜日
イタリア語翻訳を出来る方、いらっしゃいますか?
いま、イタリア語から日本語への翻訳を出来る方を大急ぎで探しています。
映画関連/チベット関連の文章を訳して頂きたいのですが、
ご存知のかたは、一度、メッセージをいただけると嬉しいです。
よろしくお願いしまーす!!
「彼女の名はサビーヌ」
毎日新聞仙台支局、藤田祐子さんとのインタビュー後、
友人と一緒にアップリンクでやっている映画「彼女の名はサビーヌ」を見る。
フランス人女優サンドリーヌ・ボネールが自閉症の妹を撮ったドキュメンタリー。
自閉症とはなにか、という教育ドキュメンタリーではなく、
愛をもって人間を撮るという行為が集結された美しい作品。
そしてレンズを向けられた対象人物(サビーヌ)がそれを返す。
ただ、ふつうとは違うやり方で。
カメラがトレースする瞬間瞬間の表情や動きを見ていて、
わたしは「愛のかたち、表現」、ということをずっと考えていた。
私たちとそのかたちが違うだけ、と。
だから、決して言語化して翻訳することはできないけれども、
微妙なニュアンスでパニックしてしまうとか、
そのこころの動きが見える気がした。
そのまなざしや、訴える愛の、いたいたしさが
人類の奇跡そのものだと思った。
2009年2月28日土曜日
盛りだくさん
しかし、渋谷の雑踏はつらいね。
人酔いも。
今回の東京は、外にある建物や、そのデザイン、売り物など
余分なものが情報として入ってこない。
人間とその内面だけが見える気がする。
そして、それでいい気がする。
インタビューがないなりのプロモーションそして、
そのアドバイスを大変ナイスな先輩からお聞きすること、など。
こうやって沢山の面白い人々にインスピレーションをもらいながら、
若かったときは、なぜあんなに閉じていたのだろう、と思う。
自信のなさ、過度の感受性。
年を重ねて楽になることがある。
いいものだ。
2009年2月27日金曜日
I-Morley
モーリー・ロバートソンさんのi-morley のブログに昨日のインタビュー、あるいは会話がアップされました!!
こっちはチベット知っている人用かも。
是非とも。
これはJ-WaveでのEarly Morley Bird の収録のあと、ロビーでの会話です。
日曜の朝の5時からJ-Wave放送のEarly Morley Birdも併せて聞いていただけると嬉しい。
これは、チベットのことを知らない方にも聞いて頂ける内容かな。
よろしくお願いします。
2009年2月26日木曜日
Across the Viewのこと

今日はノスタルジックな気分だから、散文調でいくよ。
かつてね、J-Wave でやっていた素晴らしい深夜ラジオがあった。
Across the View。
深夜1時から3時までの放送。
Across the Viewはね、すごかった。
その政治性、アート性、クレイジー性、あのとき学生時代だった私には、全てがバクハツ的に革新的だった。
テスト前に覚えなくてはいけないアンチョコを無視してラジオに耳を傾けていて、
漢文のテストで赤点とったこともあったよ。
ちなみに、J-Waveは開設当時商業主義を廃した、深みのあるラジオ局だったよな。
予算がなくて(たぶん)大物タレントを雇えなかった分、ものすごい意識が高く、個性的なDJがいっぱいいた。
Across the Viewはずば抜けて面白かった。
それはなぜかって、DJのモーリー・ロバートソンさんがいたからだよー!
政治的に危険な発言をし続けたモーリーは、いろいろおとがめを受けていたと思う。
だからこそ、面白かった。クレイジーな詩を読んだり、音楽かけたり、
真夜中に色々なところに電話をかけて、インタビューをしていた。
そこから学校では絶対に学べないことを教えてもらった。
やがて、私はNYに住むようになって、このプログラムを聞くことはなくなった。で、
あるとき、モーリーがインターネット・ラジオをやっていることを見つけた。
懐かしい声がインターネットで聞けて、思わずメールを書いたら返事が来て、
そのあと東京に行ったときに、会ったこともあった。
それから10年。
今日はモーリーが現在J-WAVEで日曜の朝5時からやっている Early Morley Bird に映画の
プロモーションで呼んでいただいた。
なんと、ディレクターの㐮(はい)さんは、元Across the Viewのディレクターだった人。
思わず、教え子になった気分だったよ。
あのとき、若い、青い時期にあの深夜放送で聞いたこと、そのメッセージが全ていまに通じているのかも。
若者よ、悩むっていいことだ。
10年ぶりに会うモーリーが元気で、精力的にメッセージを送り続ける仕事をしているのを見て嬉しかった。
もちろん、去年のチベット暴動で凄く精力的なブログ+音声/画像配信を
していたi-morleyはチェックしていたけれど。
今週の日曜日の朝5時からです。
早起きは三文の徳。
あと、CS朝日の「ニュースの深層」にも出る予定です。
なんといっても、インタビュアーは日本赤軍の重信房子さんの娘さんで、
レバノン生まれのパレスチナの血を持つ重信メイさん。
彼女のプロフィールを調べてみる。
http://www.nihonshinju.com/archives/2006/08/post_11.html
(以下抜粋)
現在、彼女は自身の過酷で数奇な人生の経験を通して培われてきた弱者や少数民族、
マイノリティーに注ぐ眼差しに導かれて見えてくる、米国主導の世界政治とグローバリズムの
根本的な過ちに異議を唱えるべく、国際ジャーナリストとして活動し、活発に発言を続けている。
同い年。
自分の血をもつパレスチナの解放を思うように、チベットを見ていると感じた。
ありがたい。
すごく、素敵な人。もっとお話したかった。
中東の料理のこと、レバノンで泳ぐのが好き、って言ってた。
どんな人生なのだろう。
応援したい美しいひと。

もりだくさんの一日だった。
消え入りそうに眠い。
寝ます。
あ、いま、BS1で中国のCCTVでチベット人たちがチベット正月を祝っている、って言ってる。
学校でもチベット族のためのとくべつな給食がでてるって。
踊って歌ってるって。
ほんと?
2009年2月25日水曜日
プロモーション日和

こんばんは!一日一回以上は更新したいと思っているのに、夜になっちまったぜ。
ちなみに上の交差点、外国映画が日本を撮ると必ず出るね。
信号を待ちながら思わず、思わず撮っちまった。
雨の水曜日、渋谷のマックストアで忘れたマックのプラグを買うことからスタート。
マックストアは全世界同じ感じなんだな、と。ちょっと狭かったけれど、きれいなストアでした。
前のプラグはプラグ部分の接触が悪く、ぶっこわれていたので、買ったっていいんだ、と自分に良い聞かせつつ。
そして、明日からだとすっかり思いこんでいた、プロモーションのインタビュー、実は今日からだった。
アップリンクさんのオフィスで久々に神田さんや浅井さんに会った。神田さんとはすでに戦友のような気すら。
一緒にランチを食べて、インタビュースタート。
写真もあるというのに、old navyの安っぽい服を着て、きたならしいあたし。
ま、いいか。
はじめは元産經新聞北京支局の記者で、今は東京の本社に任務する福島香織さん。
福島さんのブログは、記者ならではの深い情報と分析が盛りだくさんで(しかも面白い)去年のチベット暴動のときからずっとチェックしており、お会いできるのを本当に楽しみにしていたのです。
今回、風の馬のウェブサイトにも素晴らしい文章をよせていらっしゃいます。
1時間のインタビューは、密度の濃い時間だった。やはりチベットをわかっていらっしゃる方だから、こちらも深い話ができた。

インタビューで泣いたことなんてなかったけれど、相手が福島さんだからこそ、思わず私も涙を流した瞬間があった。
北京にいらっしゃった福島さん、新聞には書けない体験談もいっぱいあると思う。
今度はゆっくり福島さんのお話をお聞きしたいものです。
2つめは新しいビジネス系雑誌の「ACHIEVE - 夢を達成するためのパスポート」。
今月号はヴァージン・グループのリチャード・ブロンソンが表紙よ!! ふ。
しかものる記事のタイトルが「世界で活躍する大和撫子」。思わず黒字にしちゃったよ。
はは、はははは。あたしをご存知の皆さんは大きく首をたてに振って同意するに違いありません!! (うそ)
インタビュー内容は、ビジネス紙ということもあり、映画制作においての大変だったことや、それをどのように切り抜けたか、
など。新鮮な質問が多くて楽しかったです。
来月号、もしよろしければ、是非チェックしてみてください。
3つ目は多大な発行部数を誇る幸福の科学社さんの「ザ・リバティ」。
30分のインタビューだったけれど、盛りだくさん。「宗教の自由」という観点で、パルデンが闘ってきていることやチベットの問題がどういうことなのか、というようなことをお話しました。
インタビュー中ずっと写真を撮られていて、たぶん100枚以上撮られていて、写真をひとつひとつ見ながらダメ出しをしたかったけれど、できず。ああ。
今日の教訓:いつでもまともな格好をしたほうがいい。
そのあとは、新潮社から出版されていたけれども、数年前に絶版されていたパルデンの自叙伝「雪の下の炎」の復刊運動の署名活動をはじめて大成功させた安福かおりさんとディナー。
本はなんと重版が決定したんだって!この不景気に!!!素晴らしいことですね!
ミクシィのやり方など、手取り足取り教えてくださったかおりさん、とっても美味しくておっされーな釜飯レストランに連れて行ってくださいました。すごく知的できれいな方でびっくり。(びっくりする必要ないのだけれども)
何度か、メールで連絡をとっていたし、チベット関係のことで共通の話題があるので、初対面なのにしゃべりまくりの楽しい時間でした。
ブログ用に写真とろうと思っていたけれども、結局忘れちゃったよ。
かおりさんのブログに写真があるはずでーす。
かおりさん、ごちそうさまでした♡
さて、明日も盛りだくさんの予定。風呂入って寝よーっと。
明日はちゃんとした(やや、私的には)服装で挑む。
2009年2月23日月曜日
東京!

飛行機はすいていたけれども、なかなか寝れなかった。
横になろうと思ってとった、後ろのほうの3連席も、乗ったら人が3席目に座っていて、横になれず。
オバマさんの本を読んでいました。

孤独を知っている人では2つのタイプがある。殻をかぶり続ける人、殻を破って外に出て行く人。
後者のほうはとてもパワフルな慈悲深い人になると思う。
オバマは完璧に後者のタイプ。
就任式で、開場に出てくる前にうつったオバマの顔が忘れられない。
神々しさと人間らしさがまざった、素晴らしい表情をしていた。
どんなに問題が山積みであれ、ああいう人が大統領になれるという世界がまだあることが、希望。
アップルのアダプター忘れた!!
調べたら9800円。フェデックスで送ってもらうのとどっちが安いか。
ちょっと壊れかけていたから、買うかー。
予備電源で発電中。

実家のパルちゃん。
もう16歳になりかけです。会うと癒されます。
2009年2月22日日曜日
2009年2月21日土曜日
最新のチベット関連ニュースで目をひいたもの
「クリントンの北京来訪で反体制派拘束」
Phayul,ダラムサラより 2月21日
米国務長官ヒラリー・クリントンが週末に北京来訪する際に、中国の警察は反体制派を監視し、自宅監禁していると人権団体が話しているとAP通信がレポートした。
一方中国側は、人権についての会話をアメリカと持つと言っており、「中国憲法では、人民の基本的な人権を保障している」とクリントンが金曜日にアジアツアーの最終地点として到着する際に話していた。
人権擁護団体はクリントン北京来訪に先立ち、中国の人権問題に関する米国のいつもの懸念よりも、気候変動問題、世界的経済的危機問題、北朝鮮の軍事的脅威が主なトピックになると表明したことに失望している。
アムネスティ・インターナショナルはクリントンは、米国が将来的に中国が人権問題を守る道へ導いていくことを断ったと言っており、国際的人権擁護団体「ヒューマ ンライツウォッチ」は、クリントンがはじめに話し合うと言っていた、中国の法律保護と報道の自由の強調化、そしてそれの発達の様子を見捨てた、と言っている。
「こうしたクリントン長官の外交政策の態度は、中国政府の考え方、すなわち人権問題を尋ねられても答えないように、行き止まりの会話に隔離していく」ようなやり方に寄り添っている、と「ヒューマンライツウォッチ」のアジア部門ディレクターのソフィー・チャードソンは非難している。
クリントンの北京来訪に対し、人権擁護団体やチベット擁護団体は彼女がチベット問題を北京と会話するよう希望を託していた時点での出来事だ。
「中国憲法では、人民の基本的な人権を保障している」って、、、すごいですね。ほんとうですか?基本的な人権って、人々がいいたいことを言えないようにしたり、言いたいことを言った人々を拘束したり、暴行したりすることはしない、っていうようなことでは?
そしてもうひとつは中国から。
”Evening gala to celebrate Tibetan New Year”
チベット正月の大晦日祝賀ショー
新華通信より
(わるくいえば、中国政府のプロパガンダ広告紙)
北京より
チベット正月が2/25にせまり、大晦日の夜に中国全土のテレビで祝賀ショーを流す為の録画が進んでいる。
800人近いパフォーマーがこの祝賀に参加し、そのうち200人は一般人だ。祝賀ショーの監督、Puはこれらのアマチュア俳優のうち、上78歳から10歳まで参加すると言う。彼らはチベットの伝統的なフォークダンスや楽器を披露する。この祝賀は3ヶ月の準備期間を重ねた結果だ。
新華ニュース特派員がチベットからお送りしました!
このダンスショー、ダサムサラのテ レビで見たことがあるけれど、大スペクタクルで、中国風にアレンジされた「チベット伝統フォークダンス」なんだよね。オリンピックのと開会式のときも「中 国の少数民族がそれぞれの民族衣装を着て、、、」旗を運んだけれど、ふたを開けたら漢民族が少数民族のふりをしていただけ、というのがレポートされていま したが、この800人のうち、何人が本当のチベット人なのでしょうかね!「雪の下の炎」劇場板マスターアウトプット
アウトプットはGRSというマンハッタンのミッドタウンにあるポスト・プロダクションの会社で。
ここにはローガンというセルビア(元ユーゴスラビア)で天才ミュージシャンだったマルチな才能を持つ友人が働いています。
彼がアウトプットをやってくれます。
行くと、「フリーチベット」Tシャツを着ていました!

そして、こちらは映画の編集をやってくれたミリツァ。
同じくセルビア出身。うちのプロダクションはプロデューサーがセルビア人だから、セルビア出身者が多いのです。

26歳とまだ若い。彼女はかわいくて、とても賢く、私たちは1年間、お互いのボーイフレンドよりも多くの時間を過ごし、たくさんの健康的なけんかもし、お互いの悪い部分も良い部分もとてもよく分かっている戦友。
ハードドライブに持って来たファイナルカットプロのデータを最終確認しています。
こうやって、色々な人の手によってできたテープを大事に持っていきます。
このあとは、大切な友人の誕生日パーティーへ! 佐々木芽生(めぐみ)さんとは、まだ映画が制作段階のときに、トライベッカ映画祭のオールアクセスという、制作段階にある映画とマイノリティーのフィルムメイカーを応援してくれるプログラムに入ったのが同じ年で、それ以来の戦友。
ドキュメンタリーをプロデュース、監督するというのは、自分で言うのもなんだが、
ほんとーに大変なことで、お互いに色々な悩みを相談し合って、傷をなめあい、応援し合ってきました。
彼女のつくった映画はHerb and Dorothyというタイトルで、ニューヨークに住む伝説的アートコレクターの話。アートコレクターと言うと、リッチなお家を想像するけれど、彼らはそうではないのです。
Herbは郵便局員、Dorothyは図書館員、Dorothyの給料で生計をたてながら、Herbの給料でアートを買い続けました。買ったアートはまだ売れなかった時期のウォーホル、タトル、クリストなど。彼らのコレクションは時期を得て、ものすごい値段になったわけだけれども、数年前にそれを全てワシントンの国立ナショナル・ギャラリーに寄付したのです!
売れば相当なお金が入って来たはずだけれども、HerbとDorothyは未だに1ベッドルームのせまーい部屋に暮らし続けています。
とにかく、アートコレクターの話というとアートに興味の無い人は、とっつきにくいと思うかもしれないけれど、全然そんなことはない! HearbとDorothyは絶妙なキャラをしていて、とても人間的な話で、フェスティバルで上映したときにはQandAで声が思わずうわずってしまう人もいたくらいの感動的な作品です。
是非ともウェブサイトでチェックしてみてください。
最近全米での劇場配給の日程が決まり、芽生さんは大忙し! そんな彼女のパーティーには30人くらいの人が集まりました!
写真とるの忘れました。まだブログ慣れしていません。
それでは。
2009年2月19日木曜日
最新のチベット、リタン郡での抗議活動と拘束のこと (ワシントンポストから)
「チベット問題での衝突で中国のある郡は封鎖地域になった」
”Clash Over Tibet Has County in Lockdown”
2月19日付け (ワシントンポスト)
北京からの情報
By Ariana Eunjung Cha
四川省のリタン郡では、チベット僧たちによる抗議活動のあと、封鎖地域になった。Zhou Xiujun は商店経営者で、町の中心の野菜市場に店をもっている。彼女はそこで、小さな抗議活動を15日に目撃し、16日にはもっと大きなものを見たと証言した。チベット人たちが「ダライラマ万歳」と叫び、警察がすぐに到着し大混乱になったという。少なくとも1人のチベット人が、棒をふりまわし、他は靴をなげたりしていた。警察官たちは電気棒や催涙ガスを使って、それを止めようとした。
ロンドンの団体「フリーチベット」によると、これが去年の春以来もっとも大きな抗議活動だという。去年の3月後、中国公安当局はチベットを外部から封鎖した。外国人記者も当局のエスコートなしでは入境できず、数人のみが許可を得ることができた。
チベットの共産党の書記Zhang Qingli,は、チベット問題に対し、強固で寛容度ゼロの攻撃的な姿勢をとっていることで有名だ。チベット人たちは、自分たちの動きは常に監視されており、少しでも共産党に対する忠誠心がたりないものは、すぐに尋問され、拘束されていると言う。
来月はチベット民族蜂起やダライラマ法王亡命から50周年、それを間近にひかえた今、こうした弾圧はますます強くなった、とローカルのチベット人は言う。チベットサポート団体によると、この数週間でチベットの首都ラサでは少なくとも81人が拘束された。
「フリーチベット」によると、少なくとも24人のチベット人が今回の抗議活動で拘束され、二人は警察に連行された。どの程度の傷をおったかは分からない。インドのチベット人権民主センターによると、21人が拘束され、うち二人が強い暴行を加えられ、重傷をおったという。
四川省の南西部、ガツェチベット自治区、リタン郡の政府、警察、旅行代理店の係員たちによって、この事件は裏付けされているが、拘束に関しての詳細については語ろうとしなかった。
「このことについて話しするのは恐ろしい」とリタン警察の警察官は電話で言った。
「秘密事項です。ここで何が起こったか、その真実、情報を外部の人間に話すことはできません、これは決められていることなのです」
去年の3月の暴動以来、チベット人たちは家やビジネスの捜索など、抑圧的な条件下で暮らしていて、携帯電話の音楽が「反抗分子的である」などとるに足りない犯罪でさえ、拘束されているとチベット人たちはいう。
1/27にも他の四川州の地域、デゲ群の僧院のそばで5人のチベット人たちチベット独立を訴える抗議活動もあったという。
今回の抗議活動は、亡命チベット人や中国内のチベット人たちから計画された、去年殺されたチベット人の喪に服す為の、チベット正月ボイコット運動に関わっていると見られる。
今年は2/26に予定されている「ロサル」といわれるチベット正月は本来なら祝賀が15日間続くはずだった。
「フリーチベット」によると、リタンの抗議活動は、37歳のロブサン・ルンドゥップが「チベット正月は今年はなしだ!」そして「ダライラマ法王をチベットに返せ!」と叫んだことから始まったと言う。目撃者によると、この声にまわりにいた群衆が参加しだしたという。
警察はロブサンを拘束し、2度目の抗議活動は、当局が彼を釈放するのを拒んだことによってはじまった。
先出の商店主Zhouさんによると、リタンは小さな町であると言う。「だけど今は、1000人以上の武装警官と公安局係官たちが道をパトロールしている。それにもっと沢山の軍隊が来るとも聞いた」と話した。
「私たちは外に出ることも出来ず、厳戒令が一昨日から出ている」19歳のチベット人 Anhuiは言う。
バス乗り場でチケットを売る、Zhang Yuによると電話は盗聴されていると言う。
チベットの服と装飾品を売る商店主Ma Long, 35才は、店を閉じるように命令された。「数十人の武装警官と公安局係官がうちのドアの前をパトロールしている。こんなことはめったいにない」
Zhang Jie と Liu Liu によるリサーチとレポート
ワシントンポストより
以上、雑ですが簡単に訳してみました。去年の今頃のレポートに比べて、非常に微細なリサーチをもとに、細かい情報が書かれているのはすごい進歩です。こんなに世界から断絶され、抑圧されながら生きているチベットの人たちに心からsolidarityの気持ちを捧げたいと思います。
「雪の下の炎」日本で公開決定!なぜ、今年もチベットか?

知りたい?

2008年6月18日水曜日
back from aloha island

2008年6月7日土曜日
2008年6月3日火曜日
雪の下の炎を日本で上映したい!






