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    「雪の下の炎」 DVD発売中!!

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    (上の映像をクリックしてください)

    2009年3月31日火曜日

    あと1時間! あと90人!でSFTが2位に!!

    あと1時間でSFTインド支部のチャリティーチャレンジが締め切られます!!!!

    あと90人で、2位に追いつきます。2位だと$3,000ですが、賞金がでます!

    今の3位だと、$1,500です。

    順位はここで


    寄付はこちら
    から。簡単な登録でできます!

    SFTインド もう少しだ! 


    現在NY時間の午後1時過ぎ(日本時間午前2時)です。
    今日のNY時間23:59に閉め切られます(日本時間午後12:59)!

    昨日のブログポスト時点からうなぎ上りになり、今は365人サポーターがいて4位です!!!
    せめて、2位には食い込みたいところです。(あと約200人!!昨日からの経過を見れば可能だ!)

    日本のクレジットカードも使えるそうです。

    よろしくお願いします。

    右のバナーかここをクリック

    2009年3月30日月曜日

    あなたの10ドルで、Students for a Free Tibet INDIAをサポートしよう!



    SFTインド支部が、チャリティーのコンテストにチャレンジしています。
    今から30時間以内に参加団体の中で一番のサポート数を得られれば、賞金として$10,000が与えられます!

    $10,000はSFT India支部の1年間の予算です。4人のスタッフとボランティアたちの活動のチベット・サポートの以下の活動のために使われます。

    ーチベットでの最近の状況をモニターし、レポートする
    ーインド内でのチベットへの草の根サポートを強化する
    ーインド内で効果的なチベットサポートキャンペーンと、活動を組織する
    ー若いチベット人たちに非暴力のアクティビズム(政治活動)をトレーニングする


    彼らをサポートするにはチャリティー寄付サイトのRazoo のホームページに行き、簡単な登録を終えて、10ドル寄付するだけです!!
    この10ドルは日本円にしたら、980円弱です。残念ながら、日本のクレジットカードが使えるかどうか分かりませんが、VisaやMasterなどのメジャーなクレジットカードなら使えるかもしれません。(試してみた方、どうだったかコメントください!)

    今現在(NY時間午後7:30)7位にありますが、(ここで順位をチェック)皆様の協力できっと1位になるでしょう!!

    NYに本部があるSFTは実際に北京で何度も講義活動をしたり、サンフランシスコのゴールデン・ブリッジから大きなフリーチベットの横断幕を賭けたり(NYTimesの表紙にもなった!)沢山の効果的なロビイ運動なども行っている、とーーーーーっても心の清く、あつーーいメンバーが揃った団体です。また、5月には本部から事務次長のTendor(去年、聖火リレーに先駆けてエベレストのベースキャンプで講義活動した勇敢な青年!)が日本に行くはずなので、それに伴われるワークショップも見逃せないですね!詳しくはSFTJapanのウェブサイトをチェックしてみてください。

    どうかご協力をよろしくお願い致します。

    Students for a Free Tibet, Inc. on Razoo. A better way to donate to charity online.

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    2009年3月29日日曜日

    春雷

    撮影秘話というかBehind the SceneをDVDに入れたいから、編集していたが悪い癖で台本を書いていなかった。
    部屋では落ち着かないので、なんか午後のカフェなんぞにノートを持って行って座った。
    ことばがでてくるまで色々な心境を書きなぐり、だんだんまとまり出したので、家に帰還し、ひたすらタイプ。
    たまにはこんなのもいい。





    夜は大学時代の友人と一昨日オープンしたての精進料理のお店「嘉日 KAJITSU」に行った。なにやら、京都のお麩やさんがNYに開いたお店らしい。内装のカウンターの木がすばらしい。新しい木のにおいも、清々しい。

    これでもか、という繊細な味つけのすべてベジタリアンな食事が細胞にしみいっていく。
    嗚呼、日本食万歳。
    写真はアーティーチョークと林檎を使った、少しイタリアンな感じの絶妙な一品…

    本当に美味しかったし、久しぶりの近況報告などをしあう。古い友人と会うと、別になにか特別に話さなくても、空間をともにするだけで、阿吽の呼吸で心がほぐれる。

    よっしゃ、また明日からも、がんばろう。

    2009年3月28日土曜日

    タイムス・スクエアをチベットの牢獄へ: 「農奴解放記念日」プロテスト in NY

    「農奴解放記念日」という皮肉な名前がついた中国政府のチベット支配を正当化する超クリエイティブなプロパガンダ「記念日」がとうとうやってきました。

    だまっちゃいねーぜ!!


    国連本部前から中国領事館の42丁目横断マーチが。300−400人集まっていたかな。

    今回のプロテストはすごい。Regional TYCが考えて、とてもドラマティックなマーチをして、通行人の目を釘付けにした。
    なんと、55人が囚人のユニフォームを着て、10人が中国軍のユニフォームを着て、道中ずっとマーチを率いていたのだ。
    囚人は、本当に囚人らしく下を向いて歩き、時折「フリーチベット!」と叫ぶと、軍人がよってきて、棒で殴ったり、蹴ったりされる。

    この為に、ボランティアたちが一人5枚ずつ、ミシンで囚人服をほとんど徹夜で縫って準備したのだ!





    こんな感じで、手錠もしていました。
    ふだんは結構笑ったり、おしゃべりしたりのマーチも、今日は「ガムかまない、おしゃべりしない、携帯電話使用しない」などの厳しいルールが設けられたので、皆神妙な表情。見ている方も、ただごとではないことが、伝わるのです。

    なんと、3人のチベットの元政治囚が先頭に立ちました。
    左から、元尼僧のチョイン・クンサンさん(4年)、ガワン・サンドルさん(11年)、ペンパ・ツェリンさん(3年)
    皆さん、つらい思い出もあるとは思いますが、自ら歩かせて欲しい、とおっしゃったそうです。

    顔には血のあとがあり、首にはチベットの政治囚の名前と顔がついた札をかけています。



    マーチ中、上の3人がどのようなことを考えていたのか、どんな思いで今、この自由の国アメリカの、資本主義の聖地のような、このタイムス・スクエアの地面を囚人服を着て歩いているのか…
    それをずっと、私は考えていた。

    この囚人服はガワン・サンドルさんが、生地屋まで一緒に買い出しに行き、デザインを書いて渡したそう。
    彼らが買った紺色の生地はとても薄い、一番安いポリエステルだったけれど、実際のものはもっと品質が悪かった、と彼女は言っていたのだそうだ。




    そして、この「中国軍」の「演技」がすごかった…完璧に役になりきり、中国語で「歩け!」とか号令をかけています。

    そして、「フリーチベット!」と叫ぶと、飛んで来て殴りだす。棒は紙でできているとはいえ、音がぼこぼこするし、沿道のアメリカ人たちは最初なにが起こっているか分からなくて、「ストーーーップ!」と叫んだり、泣き出す老人女性もいたりで、異様な雰囲気があった。






    こうやって、ぼこぼこにされて、道に崩れ落ちたりも何度も、、、

    しかし、友人は崩れ落ちたとたん、後ろから不意に「急所」に蹴りを入れられ、目の前がまっくらになった、、、だけど、がんばって歩き続けた、と言っていました。

    …生傷もたえない迫真の演技なのです。



    もちろん、彼ら3人を演技をしている「中国軍」は棒でたたいたりしないのだけれど、それが逆に生々しかった。



    3人の後には、尼僧と僧が続きます…そして、囚人たち。




    中国領事館では、またまた、屋根の上に3人くらい職員が出ていて、遠巻きにプロテストをビデオ撮影していた。

    アメリカという自由の国で「演技」だと分かっていても、胸がえぐられる思いがするのに、チベット内ではどうなのだろう、と思うと本当に恐ろしくなった。

    2009年3月26日木曜日

    それでもまだ。

    きのう、元チベットの良心の政治囚で尼僧だったガワン・サンドルさんと、週末のプロテストに使う「小道具」を買いに行った友人がいる。

    「どうだった?」と聞いたら、なんと、彼女はいま大学で勉強しているのだが、そこにいる中国人学生何人かが、彼女にいろいろ「おまえが言っていることは嘘だ」とか「中国政府はチベット人を弾圧していない」と言ってくるらしい。
    彼女は、感情的になるけれども、ちゃんとひとつひとつ説明して、分かってもらおうとしているという。
    いくらプロパガンダで育てられているとはいえ、目の前にいる人が11年間も牢獄にいたこと、拷問されたことを信じられない、というのは相当だと思う。

    あと、彼女のお兄さんふたりが、中国政府によって殺されたことを聞いて悲しかった、と話をしていた。
    1人目のお兄さんは、銃で撃たれ、2人目は体が弱かったが、抗議運動に参加し、暴行され、病院に運ばれたが亡くなったそう。
    気丈にそれを語り、ひとつも自己憐憫しているところを見せない彼女の前で、そっと違う方向を向いて涙をふいた、と彼はいっていた。


    今日はなんかいろいろあったよ。

    1、朝、同居人が電気の紐を強くひっぱりすぎて、紐をひきちぎった!(これで3度目) つまり、昼間なのに電気がつけっぱなし。
    2、午後、同居人がいったん外から戻った時点で、新しい紐につけかえてもらおうとした。
    3、直しているときに同居人が半分感電して(!)、ショートして、電気が消えた。この電気がついている天井の裏は、数重なる大家側の「応急手当」により、裸のままの電気コードがぶらぶらしているから!
    4、ブレーカーをあげても治らなかった
    5、その間、私も何度か会っている同居人の移民弁護士に電話をした。弁護士が同居人に法的なことで市庁舎に行かないといけない、と言ったのが市庁舎から指定された日の一日前で、間違ったていたというのに、「ごめん」の一言も連絡がないことを言おうと思った。(同居人はこの出向のために、違う州までいかなくてはならなかったし、仕事を一日休んだ)
    そうしたらパーソナル・アタックにとったinsecureで短気な弁護士と喧嘩になり、しかも電話を話の途中で切られた。(しかも、彼は指定日だと勘違いしていた日の一日前に電話をかけてきて、翌日が市庁舎への出向の義務であることを早口で言い、間違えた日にちを教えて来ていた。普通は一週間前に知らせるだろう?) 
    知っていてほしい。基本的にアメリカ人は絶対に「sorry」を言わない。どんなに相手が間違っていても!!!!!この部分がいちばん頭にくるね。なにせ、移民の弁護士をしているというのに、クライアントを馬鹿にしているから。この弁護士は一体何人にこういう態度でやってきたのか、と思うと頭にきたので、私は電話をした。
    6、ただでさえ怒っているところに、電気は切れ、インターネットは使えない。大家に電話したら、「今夜いくよ」と言われる。しかし大家が来たって、彼ができることはひとつもない。電気屋へ電話してくれ、と言っても知らぬ存ぜぬ。「だったら、私が調べて電話するから、あとでお金を払ってね!」ということになり、管理人を通して電気屋へ電話する。
    7、自分のやり方を否定された、とオーバーリアクションの弁護士が同居人に電話をし、私の悪口を言い、おまえのケースからおりる!だから、オフィスに来い、とメッセージを残す。私は、この行動にむっとしていたが、これは同居人の弁護士。私がくちを出したのもいけなかったのだろう、、、でも、怒鳴らなくたっていいだろう?
    「相手の頭が冷えるのを待とう。やつはきっと頭金を返さないだろう」と今後の対策を練る。
    対策:あした、そしらぬふりをして同居人が電話を入れる。一日の仕事分のお金を返してもらう。弁護を続けてもらうかは、その対応次第の判断。
    8、電気屋が昼ご飯を作った直後の部屋に来て、換気扇が入ってなかったので(つけられなかった)、煙でもうもうとしていたから、咳をしまくっている。5度くらいの咳だったらいいが、いちいち窓のそばまで行って、ごほごほしているので、だんだん申し訳ない気持ちから、「なに?これくらいで?」という気分に変わってくる。
    9、1時間後に電気が復興した。

    あー、すっきりした。書いたから。



    NYに来た当初は、こういう不条理な扱いをされても、文句を言えなかった。でも、言わないと、どんどん対応がずさんになり、ふみつけられ、不利になるから(黙っているという美徳がまったく通用しない)、はっきりと、言いたいことを言わないと物事が進まない。
    日本人としては、穏便にものごとを解決したいが、この社会では、ある意味わざわざ感情のエネルギーを無駄にして、この「ぶつかりあい」をしないと前に進まないのだ。で、そこからやっと、物事や人間関係が生まれたりする。
    完璧にエネルギーの無駄使いなんだけれど、社会生活を営むには必要なこのきわめてニューヨークなスキル。
    面倒くさい。



    ひきずらないのが、一番いいことかもね。
    いずれにせよ、サンドルさんの受けた傷を思えば、こんなことはとてもとても小さい。

    ジャクソン・ハイツのこと

    NYで私が最近愛するエリアといえば、Queensのジャクソン・ハイツ。
    リトル・インディアといわれるだけあって、もう駅をおりればそこはインド!
    おなじみのボリウッド音楽やボリウッド俳優の広告があちらこちらに。
    降り立つだけで、もう、幸せな気分に。

    でも、ここを愛するのはインド人(や私)だけでない。チベット人もだ!
    NYに来たチベット人のほとんどがこのあたりに住み、インドレストランやインドの食材が買えるスーパーが並ぶメインストリートに、ここ数年で沢山チベット人を見かけるようになった。
    もうほとんどダラムサラのマクロードの状態なのです。

    私は野菜が安く買えたり、最新のボリウッド映画をレンタルできるこのエリアが大好きで、次に引っ越すとしたらここだと決めているのだが、今日はここでマンハッタンにある老舗のチベットレストラン、チベタン・キッチンのクイーンズ店のオープニング・パーティーが。

    今までクイーンズのチベット系のレストランはネパール人オーナーのYak Restaurantしかなかったし(最近改装してきれいになったし、土日のボリウッド音楽、チベット音楽のライブショーは盛り上がる)、最近できたチベット人経営のチベット/日本料理屋はジャクソン・ハイツから歩いていけるけれど、一駅むこうにあるので、あまり使わなかった。

    噂を聞いていて、ここができたら、クイーンズに住むチベット人たちがどっと押し掛けるに違いない、と思っていたら、やっぱりすごい。
    今日は一般には開かれていなかったけれど、100人以上の人が招待されて、すごい人だかり。
    しかも、店内がクイーンズのレストランとしてはありえないくらい広かった。しかも、1階と地下もあるからね。オーナーは今回ただでオープン・バーをしていたし、食事もたっぷり用意していたから大変だったと思うけれど、すごいお披露目だったと思う。各チベット関係の団体から、ダライ・ラマ事務所の方々まで皆さん集まっていた!

    昨日はラドンの誕生日会だったけれども、今日もまた。みんな、昨日は3:30まで飲んでいたらしく、お疲れの様子。
    それでもまた飲んだけれどねー。


    左からお坊さんでありそしてTYCのメンバーでもあるソナム、SFTのラドンとテンダー


    TYCのソナム(お坊さんじゃないほう)とディキ

    お酒大好き(お坊さんは飲まないよ)、お祭り大好き、人と話すの大好き、歌うの大好き!
    一緒にいると一日のストレスも完璧ぶっとんで、楽しいー!色々な友達と会えて楽しかった。

    一方で大きな問題を抱えているけれど、人生の楽しみ方を知っているというのは、素晴らしい心の技術だ、と私は思うのです。






    2009年3月25日水曜日

    誕生日パーティーなど

    昨晩はSFTのラドンの誕生日会があり、近くのセルビア料理レストランへ。

    30数人くらい集まったのかな。
    もう10年くらい精力的にSFTで活動している彼女、光っています。
    とにかく吸引力、カリスマがあり、とにかく熱心に若いチベット人だけでなく外国人をどんどん含んで、最新の技術を起用にとりいれながらのキャンペーンはすごい。

    でも、不景気の波は、SFTにも来ているらしい。
    チベット人からの毎月の小額寄付は絶対に減らないとのことだが、いわゆる小金持のアメリカ人からの寄付が減っているということ。
    いまはオリンピックは過ぎたものの、だからこそ、SFTにがんばってほしい時期だなーとも思う。

    あと、隣にいる人と話をしていたら、「映画見たわよー」ということになり、お褒めの言葉を頂いた。
    真摯に言ってくれているのが分かり、本当に嬉しい。

    うちのクルーにもたくさんセルビア人がいて、おなじみのはずなんだけれども、話ばかり聞いてあまり食べたことがなかった。
    とにかく肉が中心のこてこて料理と聞いていたが、白い豆とソーセージをガーリックいっぱいで炒めたお皿が美味しかった。できれば作ってみたい。
    でも、とにかくくっさーいゲップが出る(すみません)。
    陽気なチベット人たちが6人くらい集まっているテーブルでは、とにかくこの「くさい」話題が中心になった。

    ラドンはとにかく、これから、中国と各国の2者会談が重要だと説いていた。
    政府に働きかけてることの重要性だ。

    そういえば、この前首相官邸に出したG20に先駆ける、チベットについてのメールは、ちゃんと「関係する省庁に送る」という返信が来ましたが、本当にそうだといいのだけれど。



    映画の借金が、ヨーロッパのテレビ用マスターやテープ代などでまた増えて来て、ひーひー言って調整していたら、しばらく覗いていなかった、プロジェクト関連の非営利団体で寄付金を集めている組織に少し振込があった!

    映画はアメリカの大学や、ドイツ、オーストラリアなどから問い合わせがあり、これから広がっていく可能性はあるが、とにっかく経費がこれでもか、というくらいかさむ。







    2009年3月24日火曜日

    中国でYoutubeがブロックされた

    あの中国政府による残虐な映像がYoutubeに出始めたとたん、中国はYoutubeへのアクセスをブロックしたのだそうだ!
    しかも、APによると、例の映像は、中国のスポークスパーソン曰く「ダライ・ラマのサポーターによるでっちあげ」だそう。
    Youtubeを傘下に抱えるGoogleは、中国でのブロックの理由はコメントできず、「すぐにサービスが復興するよう、問題に対応している」とメールがかえってきたという。

    極めつけはこれ:
    The government did not directly address whether YouTube had been blocked. When asked, Foreign Ministry spokesman Qin Gang told reporters: "Many people have a false impression that the Chinese government fears the Internet. In fact it is just the opposite."

    政府はYoutubeがブロックされたことに関して直接言及しなかった。外務省のスポークスパーソンQin Gangはこの質問に関して、「沢山の人は中国政府がインターネットを恐れている、という誤った印象を持っている。しかし実際はその逆だ」と言った。

    じゃあ、なぜ、特定のインターネットの情報をブロックしたりするのかしらね。
    チベットにいたときに友人が「チベット」関連のメールを見ようとしたら、メールを開けたとたんに、画面が「さーっ」と暗くなって使えなくなったのを私は2度も見たけどね。

    2009年3月23日月曜日

    南アフリカ・フレンズ・オブ・チベット署名運動:ダライ・ラマにビザを!

    友人からまわってきました。

    ここからどうぞ!

    日本人ができる8分のアクション! ー G20へ向けて

    ロンドンの若松さんをはじめ、色々なところに広がり、色々な方や団体が呼びかけしていますが、これ、重要!
    8分ですむよ!
    よろしくお願いします!


    来る4月2日に、G20サミットロンドン会議が開催されます。
    その各国首相が集まるタイミングにおいて、中国国家主席の胡錦濤と日本の麻生首相に向けて、チベット問題に関する要望書を日本から送るアクションにご協力していただきたいというものになります。

    このアクションは、世界のチベット支援団体200あまりを総括するインターナショナル・チベット・サポート・ネットワークの要請によるものです。(下記リンク参照)
    http://www.tibetnetwork.org/urgent-action1

    日本からはTSNJが代表という形で要請書を送ることになっておりますが、一般のチベット支援者の方々からも個別に要請書をがんがん送ってもらいたいとのことです。期間は短いですが、日本の支援者の方々のご協力を是非ともお願いします。

    【アクション1】中国国家主席への要請

    下記のURLから、中国国家主席胡錦濤に直接eメールを送れます。英文の要請書がデフォルトで書かれていますので、各自署名して送信するだけです。

    http://org2.democracyinaction.org/o/5380/t/5114/p/dia/action/public/?action_KEY=313

    【アクション2】麻生首相に要請

    下記の雛形文を使っていただき、麻生首相へ向けて要請書をeメールします。
    リンクはこちらから(総務省がリンク切れしてたので、ここからどうぞ! 「ご意見募集」をクリックしてね)

    〜ここから〜

    麻生内閣総理大臣殿

    4月2日のG20サミットにて、中国国家主席胡錦涛に対し、チベットの深刻な現状に関して言及していただきたく手紙を差し上げます。

    ご存知のように、チベットは現在、動乱の鎮圧を試みる中国により、事実上戒厳令下にあります。
    そのような警備の強化にあっても、1月以降少なくとも8回の抗議行動が行われていることは、チベットの人々の深い不満を克明に表した行為であり、 驚きに値することではありません。その不満はチベットの置かれている現状はもちろん、中国の60年間にも及ぶチベット支配の中でダライラマの平和的解決に 対する努力に対して前向きに反応してこなかったことが大きな要因です。

    チベットのすべての世代のチベット人が、ダライラマを亡命に追い込んだ日の50年目の記念日として追悼の意を称している不安定な時期に、中国の当局は昨年起こった抗議行動から何も学ぶことなく取り締まりを強化しているのです。

    私たちが昨年目撃した虐殺を防ぐためには、国際社会の迅速かつ一致団結した行動が必要不可欠です。よって、以下の点を多国間協議のもとで、日本国として訴えることをお願いします。

    *G20にて多国間、または一国から胡錦濤に対してダライラマまたはその特使団と会見し、チベット問題の解決に向けた真剣な話し合いがなされるよう強く関与する。

    *G20にて、武器を持たない民間人に対して、破壊武器の使用を含む、中国政府の行き過ぎた武力弾圧を中止する保証を胡錦濤から直に取り付ける。

    * 昨年3月の一連のチベット地域における騒乱に関して、国連拷問禁止委員会による完全で独立した調査を受け入れるよう、中国政府に対して要請する。(2008年11月拷問禁止委員会ジュネーブでの中国代表団への最終勧告に基づく)

    首相におきましては、G20サミットの参加国首相として、リーダーシップを発揮し、サミット参加国の首脳陣に働きかけ、上記項目を実行に移すことを中国政府に強く要請していだきたくお願い申し上げます。

    敬具

    (日付と自分の名前を書く)

    南アフリカ共和国、平和サミット参加予定のダライ・ラマへのビザ発給拒否について

    南アフリカ共和国や新華通信は中国からの圧力を否定しているけれど、そうじゃないのは丸見え。

    だって、The Sunday Independentによると、在南アフリカ中国領事Dai Bingが大使館で、
    中国政府はダライ・ラマが来ることに関して猛烈に反対し、もし許可したら中国ー南アフリカ間の関係が悪化するだろう、って言ったと抜粋されているらしい。
    (phayulの記事に書いてあった/いま、The Sunday Independentのサイトに行ったら、
    課金制だったから読めなかった)

    しかも、
    「もしもダライ・ラマ14世が平和会議に出席すれば、世界の注目が来年のW杯からチベット問題に移ってしまう」
    と懸念しているというが、
    アホだね、今回ビザを配給拒否したから、問題がチベット問題にうつったんじゃん!!
    ふつうにダライ・ラマが他のノーベル賞受賞者とこの平和会議をしていれば、そんなことにならなかったのに、、、

    ノルウェーのチベット協会によると、ノルウェーのノーベル・コミッティーのディレクター、Geir Lundestadさんもダライ・ラマ法王のビザが与えられなければ、ノーベル協会はこの会議に参加しない、と言っているという。しかも、ノーベル平和賞受賞者で参加予定者のツツ大主教もフレデリック・ウィレム・ド・クラークもダライ・ラマのビザがおりなければ、参加を取り消す、と言っているそうだ!







    2009年3月22日日曜日

    引き続いてTibet Now + Frost/Nixon





    タシ・サンポ Ragya僧院の僧侶で、チベットの国旗と文書が部屋から発見された後、川に投身自殺した。
    写真:Phayul
















    タシが投身したとされるMachu川、
    その向こうに見えるのがRagya僧院

    写真:Phayul










    ・チベット僧、暴動後に勾留される
    BBC
    3月22日

    以下、記事からの抜粋

    新華通信によると、チベットの街で93人の僧侶たちが暴動の後に勾留された。

    土曜日に少なくとも100人の群衆が警察署におしかけ、僧たちはその後、拘束された。
    新華通信によると、警察官と職員たちは、暴行され、傷をおったという。この暴動は、「チベット独立」を呼びかけて勾留された1人の僧侶が脱獄したことから起こり、その僧は未だに行方不明だ、と報じている。

    しかし、チベットのニュースウェブサイト、Phayulによると、その僧侶は抗議活動をして僧院に監禁された後、抜け出して、川に飛び込んで自殺をしたという。その僧侶はRagyab僧院の僧侶タシ・サンポ、28歳で、部屋からチベット国旗が見つかったことで、監禁されていた。3月10日から、この僧院では政治的な文書が流通していて、禁じられたチベットの旗が僧院の本殿の上にかけられ、これを受けて僧院は完全に閉鎖されていた。

    タシはトイレに行く、と抜け出して、そばに流れている川に身を投じたという。 (また、Phayulでは、携帯電話で撮影されたこの騒動のビデオフッテージを掲載している)ちなみにphayulでは、この警察署での抗議活動は、およそ2000人が参加したと書いてあり、5名が逮捕されたという。これを報じたVoice of Tibet では、情報筋は、この村に知り合いを持つ、インドに住むチベット人だという。

    新華通信社によると、警察は、「人々は、この僧に関する『噂に惑わされ』た」、としているが、それ以上の詳細は報じられていない。新華通信は、最初、加拉(Gyala)郡で騒動が起こった、と報じていたが、その後、La'gyab(Ragyab - phayulによる語記)であると追認。



    新華とPhayul、全てのメディアの言い分が違っている。
    デモ参加者の人数も数千人のデモ、と数百人、に分かれている。日本の毎日新聞は4000人と書いていたが! 
    驚かないけれどね。なにせ、中国政府は外国メディアを中にいれていないから! Phayulにのっていたビデオは、集まった群衆の顔が写らないようにこっそりと撮影されています。

    去年以来の大きな抗議活動だからか、一昨日のビデオ・フッテージ以上に世界中のメディアが報道している。 (なぜ?!)
    中国政府がコントロールしている新華通信からの引用が多く、そのあとに、チベット亡命政府側の言い分を載せる傾向がある。NYTimesは、この事件に基づき(題名は「中国政府抗議活動者を拘束する」)やっと記事に、残虐行為のビデオフッテージへのリンクをYoutubeからのせていた。

    3月10日は過ぎたけれども、もっと勾留が増えて来ている気がする。これから3月28日の中国政府が勝手に設定したSerf Emancipation Dayに向けて、もっと色々抗議活動が起こる気がするが、とにかく一昨日のビデオのような残虐な拷問をしないでほしい。



    ちょっと、違う話題。

    昨日、遅ればせながら、Ron Howard監督作品のFrost/Nixonを見に行ったが、素晴らしい映画だった。
    日本では3月28日公開だって!
    とにかく英国の俳優、Michael Sheenの演じる「人気テレビ司会者」David Frost役の演技はすごい。脚本家のピーター・モルガンによると、「マイケルはブリトニー・スピアーズを演じろ、といわれても、完璧に演じられるだろう」とのこと。
    彼は、元英国首相のブレア役で有名だよね。舞台俳優出身。

    ふたりは、この映画が作られる前から、イギリスとアメリカのブロードウェイで同じ題目の舞台を1年以上やっていたというから、根本からこの役を把握していたのだと思う。

    帰って来て、本当のフロストのニクソン・インタビューを見たけれど、これは本当にすごいインタビューだったのだと思う。
    ニクソンはなんだかんだ、のらりくらりと、責任のがれをしまくって、しまいには、おおむね、罪を認めていて、そこにはほんわかと、人間味でさえただよう。もちろん、ニクソンはそれを狙ってはいたのだろうけれど。

    ニクソン役のFrank Langellaはその人間味の部分を10倍くらい拡げて演じていた。

    でも、ブッシュ後の世界、金融業界腐敗後の世界からみると、ウォーターゲート「ごとき」で米国元大統領がこのように裁かれるのは、ある意味新鮮に見える。

    2009年3月20日金曜日

    抗議活動者に対する中国政府の残忍さがビデオで明かされる

    今日のPhayulで、チベット亡命政府のDepartment of Information and International Relations (DIIR)が衝撃的なビデオを記者会見で発表した。去年の3月の抗議活動のあと、捕まって暴行を加えられている人々、また、暴行されているお坊さんを助けようとして、ひどい暴行を受け、亡くなった携帯電話会社の職員であるチベット人、テンダーの生々しい傷跡がうつされている。

    見てもらえれば分かるが、単に暴行を止めに入った通行人が、度をはるかに超えた「刑罰」を受け、その傷は満足に処置されず、彼は死んでしまったのだ。体を焼かれ、タバコで火傷させられ、電気棒で電気ショックを与えられ、そのうえに暴行を加えられている。だから皮膚がはがれおち、しかも応急処置がされなかったから、傷が炎症を起こし、腐っていった、、、

    人民病院に連れて行かれたとき、彼の状態を見て病院の医師や看護婦でさえ驚いたと言う。ポリエチレンで傷をカバーしていたため、腐った部分は2、5キロ分にも及び、それらを取り除かなくてはならなかった。この治療費は全て親族がもたねばならなかったが、彼は回復せず、2008年6月19日に亡くなった。

    そのうえ、足には釘をうたれた跡があり、伝統にのっとって鳥葬で埋葬されたときに、釘が発見されている。

    注意: このビデオはショッキングな暴行シーンや生々しいシーンがあるので、責任をもって見てください。




    ふつうの人間の想像をはるかに超えた残忍な暴行のあり方に、言葉も出ない。

    中国政府は、この証拠がつきつけられて、それでも「チベット人は平和的に封建制度から解放されたから、幸福になった」と言えるのか?
    3月28日を中国政府はSerf Emancipation Day (奴隷解放記念日)として、チベットのために設定した。

    ロンドンでのG20サミット会議や、ダライ・ラマ法王の5月の訪米を前に、チベットへ、いや人権問題への国際社会の真の貢献が試されている。

    人権問題が経済に勝る日がくるのか?

    「ジグデル」のフィルムメイカー再逮捕+去年の「ジグデル」北京(秘密)プレミアレポート

    日本でもいま、公開されている映画「ジグデル」の映画制作をした(名前は似ているけれど)ジグメ・グリとは別のラブラン寺の僧侶の逮捕ニュースが今日のPhayulに出ています。

    この映画がはじめてメディアの目にさらされたのは、聖火が天安門にたどりつくその日でした。
    これが、そのドラマティックな映画のような一部始終を伝える、ものすごーいニュージーランド・ヘラルドのレポートです。

    2008年8月10日
    By Paul Lewis

    北京のGホテルはまた過去のホテルとなったー中国公安局によって封じられた。
    たぶん、ゲームの間だけ、あるいは永久に。

    立派な罪に問われたのだ、なぜならホテルの部屋がフリー・チベットの抗議活動に使われたのだから。

    このホテルの突然の閉鎖は、中国の人やビジネスマンが今日でも綱渡りのような生活をしていることを意味し、独創性があって、密かに生きる反体制派は「失踪する」ことを避けなくてはならない状況を表している。

    労働者スタジアムのそばのこの新しいホテルは灰色がかった紫色にペイントされている ー スタジアムの人気エリアへの型破りな新参者だ。ホテルのスタッフは、6階の部屋で抗議活動者たちの集会があることはまったく知らなかった。彼らはジャーナリストたちが部屋へ行こうとするのを止めるのに死にものぐるいな、罪なき傍観者だった。

    そんなことは関係ない。ホテルはもう閉鎖されたし、ホテルの観光客は移動した。中国の正義がものを言ったのだ。

    ホテルとそのスタッフたちは、新しい形の抗議活動に巻き込まれた。オープンに抗議活動をするなら、強制送還、拘束、あるいは労働刑務所での再教育をリスクすることになるオリンピック一色の北京では、それが必要だったのだ。だから、彼らはホテルの部屋で抗議活動をした、秘密裏に。

    ホテルの部屋には6人のジャーナリストたちがいた。抗議活動は控えめで、フリー・チベット・ビデオが流された。だが、ホテルのマネージャーがドアを絶望的に叩いていた。

    外では、道に黒い窓がはられた黒い車が待っていて、丸刈りで、スパイのような運転手が見張っている。

    ここはまだ警察国家で、ホテルにいた全員は中国当局の圧力の重みを感じていた。

    フリー・チベット活動の抗議活動者は、オリンピック聖火が最後の地点の一つである天安門広場を通過するその日を選び、この行動に踏み出た。

    活動家たちはホテルにチェックインし、抗議活動の準備をして、その時間、場所、部屋番号をメディアに秘密裏に伝えた。北京のトレーダーズ・ホテルの417号室で行われた先の抗議活動と同じように。

    活動家たちから伝わったコード化されたメッセージに対応し、ジャーナリストたちはホテルに入り、エレベーターに乗って、作戦にいわれた場所に部屋の鍵がはりつけてあったのを見つけた。

    彼らは部屋に入り、ホテルの壁にかけてある大きな壁画を見た。北京オリンピックのシンボルとスローガン、一つの世界、一つの夢のパロディーを見た。

    壁画には「我々の夢、我々の悪夢」とあった。

    壁画のそこかしこには、様々な名前が書かれていた。宗教的な反体制派、仕事のせいで投獄されたジャーナリストたち、チベット支援家たち。

    壁画からそう遠くないところにおかれたイスには、頭に黒いフードをかぶせられ、血の痕跡がついたシャツを着た人形が座っていた。

    街の反対側にあるノバ・ホテルの1204号室にもまったく同じようなシーンとメッセージが発見されていた。メッセージのひとつは、国連の市民的および政治的権利に関する国際規約の承認を呼びかけていた。

    Gホテルでの抗議活動のため、活動家たちは秘密裏にその情報をコード化して拡げた。我々は、住所と部屋番号を知らせるテクスト・メッセージがくる間、待っていた。我々は中国当局が憎悪するような抗議活動がある、という以外はどこに行くかもまったく知らなかった。ここは、天安門広場に行きたいジャーナリストでさえ許可を申請しないといけないような国なのだ。

    メッセージがきて、私たちはホテルへ向かった。その間、我々はタクシーの後ろにある盗聴器の話は本当か、そしてオリンピックのメインのプレス・センターや他の場所で、どれくらいの電話、携帯電話、Eメールなどが監視されているのか、などと憶測していた。

    我々が到着したとき、不穏な感じがした。まずは、いくつかの黒い窓が貼られた黒い車だ。これはもしかすると当局がこの抗議活動のことを聞きつけているという意味だ。これは良くない状況だったが、とりあえずホテルへと向かった。

    そして、また悪いシグナルが。活動家たちはどちらかというと、このマーケティングを用意周到にしすぎた。ロビーに着いたとたん、他のジャーナリストたちが着き、ロビーが混雑しだした。静かな侵入となるはずが、メディアの束となったのだ。

    ホテルのゲスト・マネージャーのヨーローッパの女性がグループを妨害しようとわり込み、我々が入ろうとするエレベーターを先にブロックした。彼女は我々がどこに訪ねたいか知りたがっている。彼女にその名前を言ったが、まだ我々をブロックしていた。

    中国では、もしホテルを訪ねたら、サインをして、ホテルの公式許可書をもらい、その全ての名前が公安局を通らなくてはならない。もし登録しなければ、ホテルに入るのは不法なのだ。

    一組のグループがすりぬけて、階段を登り部屋へ向かった。部屋で彼は、他の5つのグループがビデオを見たり、チベット活動家たちが、オリンピック・ゲーム中のアクションを扇動しているのを見つけた。抗議活動の指導者はフランス人のようだった。

    下の階では、例の黒い車のたくましい運転手がホテルに入ろうと決断したところだ。

    彼がスパイであるかどうかはわからないが、彼は群衆を通り抜け、一生懸命顔を確認しながら、表面上はトイレに行こうとした。彼はボスがホテル内のミーティングに参加しているのを待っている運転手であるだけかもしれなかった。だが、無線を使っていて、役人のように見えた。ホテルのスタッフはエレベーターと階段をブロックし、我々が部屋へ行こうとするのを止めていた。

    上に行くことのできたジャーナリスト(彼は中国に住んでいるからその身分は保護する)はヘラルドに日曜日に以下の出来事を話した。ビデオが流されて少したって、ホテルのマネージャーが中の人間が弱腰になるまでドアをたたき続けた。

    「まったく」マネージャーは言った。「お願いですから部屋をでて、去ってください。写真をとるのはやめてください。」

    「お願いだからホテルに働く全員のことを考えてください。あなたたちはとんでもない問題を私たちになすりつけたのです。このせいで、仕事をなくすこともあるかもしれないのです。このホテルには公安局がいるのですから」

    それで全てが終わった。管理された抗議活動とその終わり、たぶん、ちょっとした脅しがあったし、ホテルのスタッフの絶望感が作用した。

    これは政府の政策に賛成せず、その相違を口にする人々やそれに巻き込まれた人々の利害関係を十分に描いている。

    我々が去ろうとして、4人の抗議活動者たちが天安門広場への注目を利用して、北京オリンピックの目玉のバーズ・ネスト(鳥の巣)の横に巨大な抗議バナーをかけたというニュースを聞いた。

    二人の英国人を含んだ全員が拘束された。

    我々が自由社会にいるのではないということを忘れている場合にそなえて、Gホテルの活動家たちはこの抗議活動を支持して、写真を送るよう約束した。

    Eメールはブロックされていた。

    Gホテルは次の日、完全に閉鎖された。





    映画「ジグデル」について(leaving fear behindウェブサイトの日本語プレスリリースより)

    チベット人の本当の感情を密かに撮影した映画が6日正 午、北京で世界のメディア向けに公開される。 第24回オリンピック大会が開催される北京で6日、チベットで密かに撮影され3月の チベットにおける蜂起直前に国外に持ち出された前例のない映画が世界のメディアに公開される。
    「恐怖を後にして(Leaving Fear Behind)」と題された25分の記録映画は、勇敢なチベット人映画制作者によって撮影され、中国の支配、5輪大会との関係、その象徴す るもの、ダライラマの帰国などについてのチベット人の気持を撮っている。 チベット東部出身のドンダップ・ワンチェンさん(農民)と友人のゴログ・ジグメ(僧侶)さんは映画制作独習し、3つのテーマでチベット人の日常を35時間以上にわたってインタビューした。3つのテーマは中国のチベット支配、北京5輪大会、ダライラマで ある。

    この映画制作者たちは300ドルのビデオカメラを手にして、それ以外はほとんど費用をかけずにオートバイでチベット東部の遠隔地やチベット平原へ出かけた。当初から彼ら の目的はチベット人の声を北京五輪に伝えることだった。ドンダップ・ワンチェンさんは 「チベット人が北京に行って発言するのは難しい。それでチベットにいるチベット人の本当の思いを映画を通じて表現しようと決めた」と語っている。
    2007年10月から2008年3月までの間に100以上のインタビューが撮影された。農民、ビジネスマン、学生、遊牧民、僧侶、青年から年配者まであらゆる経歴のチベット人の思いが記録されている。彼らの自然な応答は簡潔にまた雄弁に抑圧と差別によって特徴付けられた日常生活を語っている。

    インタビューからの引用
    - 「5輪大会が開かれるのは実のところうれしいがほとんどが誤って伝えられている。中国は中国とチベットの状況を改善するという条件の下で5輪開催を認められたのだ」。
    - 「外部の人はチベット人が厚遇され幸せであると考えるかもしれない。しかしチベット人は自分たちの苦難を自由に話せないと言うのが真実だ」。
    - 「チベットではチベット人1人に対し10人から15人の中国人がいる。チベットのいたるところに中国人がいる」。
    - 「この発言をダライラマに伝えるために自らの命を犠牲にしなければならないとしたら、喜んでそれを受け入れる」。

    この映画に登場する20人は非常な危険を冒して自分の顔が写るのを承諾している。ドンダップ・ワンチェンさんは「インタビューした何人かは絶対に顔を映すようにと主張し、そうでなければ話さないと言った」と語り、北京のチベットに関する発言に強く反発したことを明らかにしている。

    ドンダップ・ワンチェンさんはこの危険な映画制作の過程で別名のジグメで恐れ知らず)を名乗った。
    この別名と計画に参加した人たちの勇敢さに基づいて映画の題名は「ジグドレル」となった。恐怖を後にしてという意味である。 この映画を国外に送り出した直後にドンダップ・ワンチェンさんとゴログ・ジグメさんは逮捕された。
    かれらは今日まで拘留されている。ドンダップ・ワンチェンさんは青海省西寧のグワンション・ホテルに拘留されているのを目撃されたのが最後である。

    ゴログ・ ジグメさんは甘粛省臨夏の拘留センターにいるのを目撃されている。 この映画はスイスに送られそこでワンチェンさんのいとこであるジャリジョン・ツェト リンさんによって仕上げられた。ツェトリンさんは2002年にチベットから逃げ出し、 この映画制作のため「チベットのための映画制作」を立ち上げた。 詳細とオンラインで映画を見るためにはwww.leavingfearbehind.comを参照。

    中国国内からウェブサイトにアクセスするには中国政府の検閲を迂回するためのツールが必要である。 VPNもしくは訪れるウェブサイトの監視を妨害するソフト、もしくはコンテンツフィルタリング・システムをバイパスするオープンソース・ウェブプロキシーであるPsiフォンなどが推奨される。

    ▽問い合わせ先
    編集者注意: Email inquiries: info@leavingfearbehind.com
    Web site: http://www.leavingfearbehind.com




    「ジグデル」のフィルムメイカー再逮捕



    Golog Jigme, file photo/leavingfearbehind.com












    ゴログ・ジグメ
    写真:leavingfearbehind.com


    ダラムサラ、3月18日 Phayulより

    中国当局は、あるチベット人を、中国のチベット支配を非難する映画を作る手伝いをしたとして再逮捕した。
    チベット人権民主センター(www.tchrd.org)によると、ジグメ・ギャツォ、またの名をゴログ・ジグメは、3月10日頃、甘粛省チベット自治県、甘南、Sangchu郡の彼の自宅から連れ出された。

    ラブラン僧院の僧侶であるジグメは、初め2008年3月23日に逮捕され、2008年10月15日に釈放された。ジグメは北京オリンピックのときに、中国の悪い評判を拡げた映画「Leaving Fear Behind (ジグデル)」を作ったドゥンドップ・ワンチェンの映画製作を助けた。
     



    チベット人権民主センターは、情報筋は当局から今回のジグメの再逮捕に関して、何の説明も受けていないと言った。情報筋はダラムサラでチベットの人権状況をモニターするNGOであるチベット人権民主センターに、彼に関する情報は何もない、と言ったという。

    ドンドゥップ・ワンチェンは去年の3月23日に逮捕され、現在は特定不可能な場所に拘束されている。

    ドンドゥップは、彼の映画のウェブサイトで、こう言っている。「さいきん、中国はチベットの文化や言語の保持を向上している、と宣言している。これが世界に向かって彼らが言っていることだ。沢山の組織やオフィスがこのために用意された。彼らが言っていることとやっていることは正反対だ。もし、本当にチベットの文化と言語を保持し、向上させたいなら、チベットに住む中国人を
    退去させるべきだ。チベットの文化や言語はチベットで実際に継承し、使用されるべきだ。もしそうでないなら、どうやって保持できるのだ?」
    Dhondup Wangchen, file photo/leavingfearbehind.com












    ドゥンドップ・ワンチェン 写真:leaving fear behind.com

    2009年3月19日木曜日

    アムドはラブラン寺のジグメ・グリのこと 2

    引き続き、去年から拘束され、行方不明になっている
    甘粛省のラブラン寺の僧侶、ジグメ・グリのビデオ・ステイトメントの訳



    ソースはここ: High Peaks Pure Earth

    僧侶たちは拘束されている間、暴行を加えられた。それだけでなく、記者と話をした者たちは棒で殴られ、足の骨を折られた。電気棒を頭や口の中につっこまれた者もいる。この電気棒は脳にダメージを与えるから、障害者になった者もいる…狂っている。我々はこのような拷問を耐えた。今の私たちの主な希望は国際メディアと国連の実情調査隊がチベットに来て、調査をし、彼らの見たことに基づいて記事を書いてもらうこと。これが一番の希望だ。

    中国側はチベット人が非合法な行為をしたと言い、我々を逮捕し、暴行し、沢山の人間を殺している。沢山の人が山々を超え、逃亡し、家や家族の元に戻らない。もし、世界中のメディアがこれをレポートしたら、どんなに助かることか。

    ダライ・ラマは我々を扇動していない。法王は独立のために闘えともおっしゃらなかったし、法王はこういったことについて何もおっしゃっていない。我々の多 くは、ダライ・ラマ法王の中道アプローチの案や、(中国内にとどまり、チベット人によるチベット自治を求める)中国当局との平和的な対話を通じてチベット 問題を解決する案を支持している。今日、私は真実の目撃者として、殺され、刑務所のなかで拷問され、山々を超えて逃亡し、家に帰ることができない数えきれないチベット人たちの話を、メディアを通して語っているのだ。そうすれば、メディアは事実としてこの状況をレポートすることができるだろう。これが私の希望だ。

    公安局、秘密警察や作業チームの役人たちが僧院の私の部屋を訪れ、私を見張っている。今も、1人の男が私のことを故意に見張っている。私は外に出ること も、電話をかけることもできない。分厚い中国憲法を学ばなくてはならず、私は自白状を書くように命令されている。いま、刑務所にはいないが、まったく 自由がない。

    ここ数日、ラブラン僧院やアムド地方だけでなく、カムや中央チベットでも、我々チベット人が不正に摘発されている。多くのチベット人が殺され、虐げられ、 逮捕された。200人以上のチベット人たちが殺され、数千人が逮捕されたと聞いている。暴行や逮捕はまだ過去のことではない。ニュースはブロックされていて見れない、サテライトの為の通信皿は置けない、アメリカからのニュースを聞いたり、見たりもできない。地元のニュースを見るように命令され、外国人と話すこ とも禁じられている。これが、表現の自由なのか? 信仰の自由はどこにあるのだ?

    チベット人たちはいま、様々な想像を絶する苦しみを強いられている。私はラブラン僧院の仏教僧だ。今年逮捕された人間の一人にすぎない。私を拘束した人間にこう言った。もし私を殺せば、すべてそれで終わる。だけど、もし外に出て、チャンスが訪れたら、私が証人として世界中の人に向けて、私の身におこった拷問のことや友人たちが体験した苦しみをメディアに伝える。

    もし釈放されたら、暴行を加えられたことは言うなと、言われているし、外にコンタクトをとるな、と警告された。だけど、自分が受けた拷問のことや、友人が耐えた苦しみのことを黙っていることはできない。今日私が話をしているのは、その理由だ。チベット人が住むエリアへの厳しい弾圧は未だ続き、私たちは自由に行動 することもできない。

    この数日、当局はオリンピックを支持するように言う。しかし、このへんのチベット人は蘭州へ旅することも許されていないのに、どうやって北京へ行ってゲー ムを見て、支持することなどできるというのか? 地元の外へも出れやしないのに。オリンピックのせいで、伝統的なお祭りやお祝い事、そして宗教的な儀式をすることは、禁じられた。

    軍隊があらゆるところ配備されている。僧院に属する小屋の中で、彼らは藁で人形を作り、チベット人の服を着せた。中国人の兵隊たちはそれを銃剣でつつく練習をしている。彼らの敵はチベット人であり、僧衣を着た僧侶たちであるらしい。
    逮捕された全員のチベット人が抗議活動に参加したのではない。なぜ彼らは、軍隊の訓練と称して、銃剣をチベット人の服を着た人形に突き刺しているんだ? チベット人を彼らの敵だ言って、苦しんでいるのは僧侶たちだけではな い、、、チベット人の職員、学生、普通のチベット人も、、、チベット人全員が苦しんでいる。大きな政府、大きな国、大きな国籍が武器、戦車、大砲を、小さく低姿勢 であるチベット人たちに使っている。数千人の兵隊たちが我々を包囲している。「反抗的なチベット人を殺せ」と彼らは命令する。

    この21世紀、世界中の人々は世界平和への道を歩んでいる。平和を愛する人、真実を支援する人々は、中国がメディアをブロックして、チベットの中で行われていることを見られないよう、記者たちの出入りを制限している中国政府の行為を暴露するべきだ。
    世界中の報道機関、国連、人権保護団体は、この問題に注意をはらい、チベット人たちが悲惨な現状を脱するよう、解決法を探していただきたい。

    例えば、中国がダライ・ラマの代理人と、意味のある対話をを行い、チベットと中国の問題に、両方に利益のある解決をもたらすよう、圧力をかけることもでき る。中国共産党は「安定と調和が国家の重要な目標」と述べている。
    もし、ダライ・ラマと中国共産党が一丸となり、中国人とチベット人両方に利益がある形で、チベットと中国の問題を解決できたなら、正真正銘の末長い平和、安定、調和を実現できることになるだろう。

    ・アムネスティーのハガキ・キャンペーンのリンクを貼ったら、「なぜだか」リンク先に飛ばなくなっていたので、ここに新しいリンク先と一緒に、ハガキの書き方を書いておきます。(リンク先に行けば、PDFでハガキのひな形をダウンロードできます/もし、まだリンク先が生きていればだけれど)

    ハガキの表:

    中国 100016
    北京市 国家主席
    胡錦濤 主席 收
    CHINA

    あと、自分の名前と住所を書いて、70円切手を貼ってください。

    ハガキの裏:

    Date(日付)
    Dear President,
    I am writing to express my grave concern about the on-going crisis
    in Tibet. According to the official Lhasa Evening News, a Strike
    Hard Unified Checking Campaign, launched on 18 January in the
    region's capital, includes "investigative raids" to residential areas,
    rented rooms, hotels, guesthouses, internet cafes and bars. By 24
    January, police had detained 81 suspects, including two for having
    "reactionary opinions and reactionary songs on their mobile
    phones". I therefore call on Chinese authorities to release those
    detained for peacefully exercising their freedom of expression,
    association and assembly. Journalists should also be allowed full
    and unimpeded access to Tibet and surrounding areas. Additionally
    the Chinese authorities should as a matter of urgency account for
    all those who have been killed, injured or gone missing, and for all
    those detained, including their names, whereabouts, and any
    charges against them.
    Please release all the political prisoners including Ven. Jigme Guri
    from Labrang Monastery in Gangsu immediately.
    We are gravely concerned about his safety.

    Respectfully Yours,

    チベットで現在も続いている危機的状況について深く憂慮しています。
    官製新聞のラサ・イブニング・ニューズによれば、1月18日に首都ラサ
    で「厳打統一点検キャンペーン」が開始されました。このキャンペーン
    により、居住地域やアパート、ホテル、ゲストハウス、インターネット
    カフェ、バーへの「強制捜査」が実施され、1月24日までに、警察は容
    疑者81人を拘束し、そのうちの2人は「携帯電話内に反動的な意見や歌
    を有していた」という容疑であったとのことです。それゆえ私は、自ら
    の権利を平和的に行使しただけで拘禁されたすべての人びとを速やかに
    釈放するよう貴政府に要請します。また、ジャーナリストが障害なく現
    地に入り取材が出来るようにすべきです。そして、貴国当局が緊急に対
    応すべき課題は、殺害、負傷、行方不明になっているすべての人々の名
    前、所在、彼らに対する容疑について詳細を明らかにすることです。
    また、甘粛省のラブラン僧院の僧、ジグメ・グリを含む全ての政治囚を
    今すぐ釈放してください。
    私たちは彼の安全をとても心配しています。

    Signature(署名)

    2009年3月17日火曜日

    アムドはラブラン寺のジグメ・グリのこと

    昨日現在の政治囚について調べていたら、あるチベット僧の記事にぶつかった。
    ソースはこのブログ:High Peak Pure Earth
    (チベット語や中国語で書かれたチベットに関する鋭い記事やブログを英語に訳している、有益な情報が沢山あるブログ)



    ジグメの記事
     VOA: Video Testimony of Labrang monk Jigme
    Labrang monk, Jigme, arrested

    ジグメ・グリのこと

    ジグメ・グリ(ジグメ・ギャツォとしても知られる)42歳は、アムド地方(甘粛省)のラブラン寺の僧侶である。彼は、ラブラン寺の僧侶たちによる2008年3月14日の大きな抗議活動には参加していなかったが、3月22日に中国当局が僧院を捜査した際、任意的に拘束された。彼は拘束中、ひどい暴行を加えられた。釈放され、2ヶ月入院したあと、素晴らしく勇敢なビデオ声明をボイス・オブ・アメリカに出した。そのビデオ声明で、彼は顔を出し、自分の本名を使った。ビデオ声明は2008年9月3日にボイス・オブ・アメリカで放送され、その中でジグメが体験したひどい拷問や、虐待の数々や、中国当局の破壊的なチベット政策、そしてチベット問題の解決策の可能性を語っている。この後、僧院に戻る前に彼は身を隠したが、後日11月4日に再度拘束された。
    彼は現在 蘭州の特定不可能な場所に拘束されている。

    このビデオはVOAのチベット語放送でアムドの言葉をジグメがしゃべる為に、ラサ語の字幕をつけて流しているが、このブログポストをした人が長大な英語訳を下にのせいていた。ちなみに20分のビデオを英語訳に落とすって、並大抵のことじゃない。この声明文を読んでチベット人の友達に聞かせていたら、泣いてもなんにもならないと分かりながら、わたしたちは涙と鼻水が止まらず、怒りとやるせなさで胸がいっぱいになった。

    何人も、何人も、同じ思いをしている人がいて、そういう元囚人たちに会ってきた。だけれど、中国当局の本当に汚いチベット人への差別や投獄、拷問方法の話を聞くたびに、経済問題やなんやかんや言って、人の命や人権問題を腫れ物をさわるみたいに扱う世界中の指導者たちに憤りを感じる。もし、拷問を受けているのが、自分の愛する妻だったり、夫だったり、息子だったら、黙ってはいないだろうに。

    ジグメが所属するラブラン寺はアムド、甘粛省にあり、去年の、ここの僧侶たちによる大規模な抗議活動の様子はチベット外にも伝わって来た。私もここから来た元僧侶を知っている。彼も、大変な思いをして亡命をしてきた。やはり、とても勇敢な人である。

    このビデオの中では1回目の投獄の傷から回復し、大柄な体で健康そうに見えるジグメが今また、どこかに投獄されている。ここで述べられているよりも、もっとひどいことをされている可能性もある。

    まず、ラブラン寺のジグメは無事なのか? ちゃんと、生きているのか? 

    声明文の日本語訳(英語からおこした) パート1

    (*これは、20分のビデオからの翻訳であるが、一語一句は直訳されていない。中国公安局の名前や拘束中の電気器具などは、チベット口語体からの翻訳で、実際には正確ではない可能性がある)

    今年、チベット暦2月の15日目(西洋歴で2008年3月22日)、僧院での集会が終わり、私は市場へ行った。タクシー乗り場の横に座り、靴を修理してもらった。僧院へ帰ろうしたとき、私の携帯電話が鳴った。だけど番号が見えなかった。すぐに、白い車が現れ、私の目の前に止まった。4人の軍人がでてきて、私を逮捕し、車まで引っ張っていった。後ろを振り向くと、尼僧がいた。私は、「尼さん、尼さん!」と数回叫び、彼女が私が逮捕されたのを目撃したことを確認した。一度車に乗ると、彼らは私の頭を黒い布でおおい、手錠をはめた。頭に銃をつきつけられ、体を押さえつけられた。彼らは武装警官のゲストハウスに私を連れて行った。

    ゲストハウスは、地元の警察署の裏側に会った。彼らは私の頭から布をとったが、手錠ははずさなかった。その後、私の体を捜査し、携帯、財布、その他すべてを奪った。私の手は後ろに結ばれ、イスに座らせられた。若い兵隊が、自動機関銃を私につきつけ、中国語で、「これはお前を殺すための銃だ。絶対にお前をこの銃で撃ち殺してやる。お前の死体をゴミ箱に捨てても、誰も気づかないだろう」これを聞いたとき、頭に突きつけられた銃のことなど怖くなかった。怖かったのは、この男は兵隊であるだけでなく、公安局の人間で、法を執行する役人であり、そのような人間が、一般の市民に銃を向けて、このような台詞をはいている、という私の思考だった…(それはとても悲しいことで)私の心はまっぷたつに割れんばかりだった。

    力を持つ国籍の者が、小さい国籍を持つ者を嫌がらせして、大きな国家が小さい国籍を持つ者を殺すために武器を作っている、これだその出来事に表される。もし、こんな低い位の人間でさえこんなことをしているということは、上の位の人間はもっとひどいことをしているに違いない。

    拘束中、よく彼らが聞いた質問は、「ダライ・ラマがお前を扇動したのか?、ダライ・ラマが略奪、火災や破壊活動をするように指示したのか?」「ダライ・ラマをどう思う?」ということだった。私は仏教徒で、ダライ・ラマは私の命、心、魂だ。私1人じゃない。600万人のチベット人全員にとって、ダライ・ラマは今世だけでなく、来生をもの精神の拠りどころとなるお方だ。ダライ・ラマは世界平和を目指す、そのとてつもない努力により、多くの人から尊敬されている。彼は世界平和の擁護者で、非暴力の道を築かれた。ダライ・ラマは絶対にそのようなことを人に呼びかけない。私のような一概の僧侶でさえ、略奪、火災や破壊活動をするよう誰にも駆り立てることはできない。

    ダライ・ラマ法王は600万人のチベット人の魂だ。彼と私たちを分離させることはできない。チベット僧として、歴史的に私たちは、師弟の関係にあるのだ。私たちはこの関係を続けねばならない。
    私たちにはダライ・ラマへの揺るぎない信仰がある。「ダライ・ラマをどう思うか」という質問に、このように私は答えた。

    拘置所で数日間拘束され、刑務所に連れて行かれた。刑務所では、兵隊たちが中国語で「1、2、3」と号令をかけた。我々のうちの何人かは中国語が理解できず、彼らは私たちを叱りつけた。彼らは、「アニマル」「白痴」などと私たちを呼び、棒で殴った。なぜ殴るのか、と聞くと、彼らは「お前らが中国語を理解しないからだ」と言って、馬鹿にして笑った。
    私は、「憲章や中国人民共和国の憲法では、違う国籍の者が済む地域では、その国籍の者が使う言語が使われ、その国籍の者が統治する権利が与えられなくてはならない」と記されているのに、なぜ、チベット人の地域では、チベット語が使われるかわりに『アニマルだ、白痴だ』とののしられるだけでなく、中国語を理解できないという理由だけで、肉体的な暴行をされているのか」というのが私の疑問だ。

    それぞれの素行や年齢など関係なかった。例えば、14、5歳の僧侶や60から70歳の僧侶も逮捕された。抗議活動に参加したかしていないかなど、関係なかった。我々には服も靴も無かった。ふたりの僧侶が一緒に縛られ、車の中に詰め込まれ、連れて行かれた。薪を投げるように車の中に放り込まれた。手に傷を負ったり、骨折したりしていても、刑務所に連れいていかれた。親族や友達たちが、食事、洋服、寝具などを差し入れすることもできない。寒さに耐えるために、みんなで固まっていなくてはならなかった。私たちがチベット人だからという、それだけの理由でひどく暴行されたのだ。それをとても悲しく思う。

    我々はカチュ(中国名Linxia)の刑務所に連れて行かれた。そこにいたのは中国人と回教(イスラム教)の中国人だった。チベット人は我々だけだった。毎日、はだしで尿と排泄物を取り除き、床を洗わなくてはならなかった。刑務所では、僧の袈裟をとり、一般の服装をしなくてはならなかった。私は仏教僧であり、袈裟を脱ぎ、一般の服装をして、手錠をつけられて、裸足で車にのせられることなどは屈辱だ。刑務所の状態はとても貧しく、飲食物や、着るものも満足になかった。顔を洗う為のタオルでさえもそこにはなかった。

    私はそこに1ヶ月拘束され、手錠をかけられたまま同じ体勢で何日も何夜もすごさねばならなかった。尋問の最中、私が「外と連絡をとった」と糾弾された。ダライ・ラマ、サムドゥン・リンポチェ、そしてアジャ・リンポチェに連絡をとったと認めなくてはならなかった。それと同じように、学者や教師などの連絡先が他にもあるとも言われた。「おまえは活動に参加していたし、組織を指示していた。外の地方にも沢山電話で連絡をとった。それで一体なにをしたんだ?チベット国旗をどこで印刷したんだ?何枚印刷した?おまえの組織には何人いるんだ?」
    「お前にはこの罪を認める以外の選択はない」そういうと、私の手をロープで縛り、数時間ほど吊るし上げられた、、、天井から吊るされ、私の足は床から離れていた。そして、彼らは顔、胸、背中を拳で思いっきり殴った。あるとき、ついに、私は意識を失い、病院へ連れて行かれた。

    病院で意識が回復すると、また刑務所に連れて行かれ、前と同じように吊るされながら暴行された。結果的に私は再度意識を失い、また病院に運ばれた。2回目だ。私はあるとき、2日間連続で、食べることも、水を一滴も飲むことを許されず、暴行され続けたことがある。腹と胸の痛みがひどかった。2度目は、病院で6日間意識不明の状態にあり、目をあけることも、しゃべることもできなかった。

    死にそうになっていたところ、彼らは私の身柄を家族に引き渡した。釈放されるとき、拘束していた連中は、地方当局に私を暴行していないと嘘をついた。そして、私の家族にも同じ嘘をついた。そのうえ、「私に暴行は加えられていない」と書いた書類に、私は、無理に親指の捺印を押させられた。
    私は20日間病院にいなくてはならなかったし、およそ20万元(日本円で30万弱)の治療代を支払わねばならなかった。

    私が僧院に戻ったとき、友達が180人の僧侶が逮捕されたと言った。僧侶たちはなにも悪いことをしていない。年寄りの僧侶や師匠も逮捕された。彼らは夜じゅう、つま先立ちにさせられ、銃のうしろで、背中を殴られた。僧侶たちの首に暴行しながら、中国人たちは携帯電話で写真を撮っていた。

    僧院が捜査されているとき、警察官と兵隊たちは、仏像やお金、個人の所持品や食物を僧院や僧侶の住居から盗みだしているのを見つけた。中国共産党の兵隊たちこそが、本当の略奪者で殺人者なのは明白だ。彼らこそが非合法の行いをしているというのに、我々が逮捕され、暴行され、拷問され、殺されているのだ。

    我々はさらにダライ一派と共謀して一般大衆に暴動を扇動していると、糾弾された。もし本当に人種間の平等、表現の自由、宗教の自由があるなら、どうして私たちは心の中から信仰する対象を敬うことを許されないのだろう?
    我々の目の前で、彼らは尊い方(ダライ・ラマ)の写真を足で踏みつけ、銃の後ろでフレームを壊し、写真を粉々に破って、火に燃やした。もしチベット人たちが窓枠を壊したら、彼らは数百万元の損害だ、と言う。
    私たちが最も慕うお方の写真を足で踏みつけられた、私たちの心への損害はどう測るのか?
    中国の指導者たちは調和のとれた社会を作り上げるのが目的だというが、それと同時に私たちチベット人全員が敬い、精神の指導者と表するダライ・ラマを中傷する、、、私たちの価値感が見くびられ、踏みつぶされながら、私は一体どうやって調和を感じればいいのか?

    (パート2につづく)

    *パルデン・ギャツォを釈放するキャンペーンとしてもとても有効だったアムネスティーのハガキ書きキャンペーン今実施しています。
    空欄に
    "Please release Ven. Jigme Guri from Labrang Monastery in Gangsu immediately. We are gravely concerned about his safety.
    "
    と書いて出しましょう!

    ・epeaさんからのコメントで言われたのですが、なんと、アムネスティサイトのリンク、落ちていました、、、どこかの国のかたが、故意的になさったかどうかは分かりませんが、新しいリンク貼っておきました。

    2009年3月16日月曜日

    請願者、北京のダウンタウンの建物から1万枚のチラシをばらまく!

    Petitioners Drop Ten Thousand Leaflets from Building in Downtown Beijing
    請願者、北京のダウンタウンの建物から1万枚のチラシをばらまく

    エポックタイムス


    3月11日

    20人近い政府への請願者が北京のダウンタウンの10階建ての建物から、1万枚のチラシをばらまいた。請願者たちは、警察が現場に出動する前に無事に、建設現場で働く人の協力で、安全な場所に逃げることができた。

    当局は、2つの重要な会議中であったため(中国共産党国家人民議会と政治協議)に沢山の警察をそのエリアに動員していたが、請願者はゲリラ方式で行うので、抗議活動は頻繁に起きている。今年は、請願者は彼らの請願を散在するチラシや、抗議活動を申請したり、焼身したり、あるいは、警察車を破壊したりして表現した。

    北京の人権活動家のTang氏は、「今日、18人が建物の屋上からチラシをばらまいた。すぐに、およそ100人くらいの警官がおしかけ、建物を捜査した。しかし、請願者たちはすでに建築現場の労働者になりすまして、身を隠している」という。請願者、Wang Yongcheng は全ての経過を目撃した。彼は、「白いちらしが、高い建物の屋上からばらまかれているのを目撃しました。6人の人が私を保護していたので、私は動けなかったのですが、多くの人がこの事件を目撃していました」

    請願者たちによると、2つの会議の開催中、多くの請願者が、State Bureau of Letters and Callsの前で、アピールをし続けている。数千人の請願者たちが毎日、北京のMajialoutoやJiujingzhuangの 救済センターに拘束されている、という。

    Wang氏はまた、こう言い足した。「今日の午後、私はState Bureau for Letters and Callsから登録番号を受け取りました。ー登録番号は910番ですー およそ千人の請願者が外に並んで待っていました」…

    2009年3月15日日曜日

    NYTimes のチベット関連の記事ふたっつ

    先日のチベットを旅していて拘束され送還されたNYタイムスの記者、Edward Wongによる記事です。
    読み応えがあるが、ジャーナリストとしての品格を保とうとしていて、我々チベット支援者にはミクストメッセージにとれるところがなきにしもあらず。しかしながら、中国人でさえ知らないチベット、というのを締めくくりにもってくるのは興味深い。
    そうとう怒っているな、ともとれる。がんばれ、エドワード!


    The Heights Traveled to Subdue Tibet

    チベットを征服するために旅された山々


    New York Times

    Published: March 14, 2009
    Article by: Edward Wong

    MAQU, China

    民兵の将校が我々のパスポートを没収した。真夜中に近い時間で、チェックポイントで彼と数人の同僚たちが雪のつもる山道に止められた我々の車のまわりに立っていた。5日間で、西中国のチベット地域への旅は唐突な終わりを迎えた。

    同僚と私は警察が来るのを待った。我々は地元の警察署に同行され、尋問され、北京に向かう飛行機へ乗せられるのだ。

    「これはあなた方の安全のためです」その民兵将校は言った。

    2週間前のこの拘束はべつに期待はずれのことではなかった。私は中国政府の目からみたら、もっともデリケートな問題のひとつである、チベットについてレポートをしていたのだから。そして、私は、政府がどのような騒動をも弾圧しようと数千の軍を配備しつつあるチベットの青海省、甘粛省を旅していたのだから。

    多くのチベット人たちは中国による支配に憤りを感じている。そして、中国の指導者たちはチベット人たちが、不成功に終わったチベット民族蜂起50周年に備えて、1年前と同じような広範囲に渡る抗議活動を行おうとしていることを恐れている。公安軍の目的のひとつは、外国人を(そのエリアから)退去させ、チベットで何が起きようとも、その事実を世界から隠すことだ。

    これは、勿論、いつもチベットにまつわる問題の一つだ。今月の中国による取り締まりは、この山々の王国を外の世界から閉め出そうとするチベット人と中国人による長い歴史の、最新のエピソードにすぎない。チベットのほとんどのエリアは山々に囲まれた海抜15,000フィートの遠く離れた高原にあり、チベットに関するニュースを取得するのはいつでも困難だった。政府の南京錠が「その門」に加えられた今は、それを特別に難しくしている。

    チベットにベイルをかぶせられることにより、外者は自らの想像や欲望をこの隠された地に投射することを促し、それは時々悲劇的な結果をもたらした。

    それは、19世紀にも起こっている。英国とロシアがこぞって中央アジアに影響をおよぼそうと熾烈な闘いをしているとき、チベット当局は外国人をチベットから閉めだすことを決めた。その閉鎖そのものが探検家、スパイ、布教者、植民統治者や仏教家たちがチベットの首都ラサにこぞって押し掛けることに拍車をかけた。

    英国は1904年の残忍な軍侵略によってラサへの道を固め、他の外国人を閉め出した。その後、中国共産党軍が1951年にチベットを侵略し、この地を閉鎖し、数十年に渡る弾圧を行っている(「地上の地獄」をもたらした、とダライ・ラマは火曜日に言っている)。

    中国はだんだんとチベットを旅行客に開放しだしたが、市民による騒動が起こるたびに、すぐに閉鎖した。

    「チベットが歴史的に人々を魅惑し続ける理由の大部分は、まさに、現代世界から触れられず、侵入者を受け入れないという、その閉鎖状況が生んだものだ」西洋がチベットに息長く弾かれ続けることについて書かれた「バーチャル・チベット」の著者であるOrville SchelはEメールのメッセージでこのように語った。「そこには西洋人に対し、中国がチベットの神秘的な魅力の大部分を取り除きつつあるという成功と、今やそれを余儀なく「閉鎖する」いう義務を感じている事実に皮肉がある」

    19、20世紀にチベットに侵入した西洋人たちの歴史は Peter Hopkirkの著作「Trespassers on the Roof of the World」に綴られている。旅人たちはしばしば吹雪や山道、山賊の襲撃などを耐え抜き、ラサまであと少し、というところで高位のチベット僧たちによる軍隊によって止められた。時々彼らは囚人としてとらえられ拷問を受けた。(私に関しては山道は決して悪くなかった。民間将校たちは武器を私たちにつきつけなかったし、我々が車に座っている間にホットミルクを用意してくれた)

    1879年、ロシア帝国軍のNikolai Prejevalsky大佐は武装したコサック達につきそわれ、チベットの首都を目指したが、ラサまで150マイルのところでチベット人当局たちによって止められた。彼は引き返した。

    18年後、英国人の探検家A. Henry Savage Landorはラサへの道で拘束され、地方長官のところに連れていかれ、台のうえに24時間つながれるなどの拷問をうけた。釈放後、彼は英国に戻り、自らの監禁についてのベストセラーの本を書いた。

    一方、ラサまでたどり着くことができた人々の大半は、変装していたという。大英帝国によって雇われた何人かのインド人スパイたちは聖人を装った。日本の仏教徒、河口慧海は中国人の医者を装った。フランス人の女性で、チベットの言語と文化に長けていたAlexandra David-Néelは1923年に巡礼者を装い、ラサに足を踏み入れた西洋初の女性だ。

    それまでには、チベットのニュースは世界中に漏れだしつつあった。それは、Francis Younghusband卿によって導かれた英国軍探検隊により始まった。マキシム銃とエンフィールドライフルを使い、兵隊たちはインドからのマーチで、数千人のチベット人を殺した。チベット人たちは、チベット内に英国が貿易代理人を駐在させることができる、という条項が含まれた、英国との条約を強制的に結ばされた。英国はそして、外国人をチベットから閉め出すための精一杯のことをした。

    英国がチベットを侵略したとき、ロシアがすでにそこに足場をもっていると考えてたが、ロシア人たちの影響を見つけることはできなかった。それは、それまでダライ・ラマ13世がチベットを閉鎖することに成功していたからだ。その成功そのものが、英国が彼らの想像の空白を埋めることを促した。彼らロシア皇帝主義の陰謀を妄想し、それに基づき、ひどい暴力を用いてチベットをほじくり開け、妄想を遂行した。

    数十年後、チベットの自治が1951年に終わると、恐ろしいキャンペーンを取り入れて、数えきれない僧院を破壊し、僧や尼僧を起訴し、中国はチベットを近代化し、外国人旅行者たちに開放した。私は中国のチベット地域を1999年に旅行し、2001年には僧院から僧院へとハイキングしながら、ラサと中央チベットで5週間を過ごした。

    しかしいま、私は中国でジャーナリストとして仕事をし、チベットに入るのはもっと困難な身にある。全ての外国人ジャーナリストたちは法的に中央チベットに入るためには、滅多にはもらえないことになっている許可書が必要である。

    中国人はチベットに旅行はできるが、かの地は遠い。中国人がチベットを知りうるのは、オーウェル調の中国政府のプロパガンダからのみである。公式な説明によると、例えば、ダライ・ラマは「仏教僧の袈裟を装った狼」と言い切る。

    青海省のチベット地区で働く私の中国人の友人は、彼が、赤い袈裟を着た僧たちとの写真を友達に見せると、ショックの目で見られるという。「怖がっているんだ」彼は言った。「彼らは『何やっているんだ、この人たちは誰なんだ?』と言う。どうやって反応していいかわからないんだよ」

    このような混乱は、先週NYタイムスのウェブサイトで行われたチベットに関する討論に参加した中国人の意見にもエコーしている。

    「真の中国人である私に出さえ、チベットは遠く、神秘的な場所だ」、読者はこのように書いている。上海のCao Weiからだ。「私にはこれらのことがいったい何なのか、さっぱり分からないです。」


    チベットの残忍行為が中国公式の歴史展覧会に記される
    Tibet Atrocities Dot Official China History

    New York Times

    Published: March 12, 2009
    Article by: Andrew Jacobs

    北京

    チベットから去ったものは、足かせをはめられた奴隷たちや、主を拒んだ農奴たちに待っていた親指をねじで締める拷問具やサソリ穴だという。でも、去ったものの中には、「仏教僧の袈裟を装った狼」で今週で50周年を迎えるチベット民族蜂起の際にインドに亡命したダライ・ラマもいる。一方中国は、それはダライ・ラマが封建的な支配を続けるためだ、と言っているが。

    外国人ジャーナリストに閉ざされたチベットでは、最近唐突に、そしてミステリアスに、電話やインターネットが不規則に機能するようになり、今日、近代チベットをかいま見るには、「民族の文化パレス」を訪れ、社会主義の「砂糖菓子」的な味付けを施された最近の展示、「チベットの民主化改革50周年」を見る道しか残されていない。この展覧会は、日ごとにバスで乗りつける兵隊、学童、そして政府当局からべた褒めされている。

    身の毛もよだつ拷問器具や、粒子のあらいフィルムには、損傷をおった顔や、「解放」されて喜ぶチベット人たちのショットがうつされたものが展示される。この展覧会は、こちらの世界では「慎重にあつかうべき時代」として扱われているものが、共産党バージョンのゆるぐことのないチベットの歴史を色濃く顕示し、宣伝報道者(プロパガンディスト)の大傑作にしている。

    土曜日は、チベットの「独裁的で神政主義統治からの解放」の50年をマークするだけではなく、19人を殺したラサでの暴動とそれに続いた政府による高圧的なリアクションからの1周年で、その軍備は最近でも、チベット人たちが多く居住するエリアで強化されるようになった。

    去年の3月の騒動は、数十年に渡るチベットへの寛大な投資により、長く続いていたチベット人の北京への憤りは当然和らげられた、と考えていた当局には驚きの出来事だった。

    先月から始まったこの展覧会は、外国人研究者たちの論点である、チベットのわずかな独立期間の存在をもみ消そうとするもので、中国支配によって、いかに肯定的な変化がチベットに訪れたかを、息も出来ないくらいの詳細をもって展示している。「民主化改革により、農奴や奴隷たちは幸せな生活をすることができ、その結果に彼らは大きな熱意を見せた」と、展示のはじめから終わりまでビジターたちを案内するシルクのチベット民族衣装を着た、陽気な漢民族出身者の一人はアナウンスした。

    展示はまた、ダライ・ラマは分離主義の心情をひろめ、大衆受けをねらっている、という政府の長年の言い分を強調しようとしている。「ダライ一派の復興ファンタジー」と題されたひとつのパネルは、ダライ・ラマが諸外国の力や西側ジャーナリストたちを後ろ盾にして、再び力を得て、中国を分離させようとしている、という主張でその証拠を紹介している。

    展覧会の感情的なピークに、大喜びしながら封建主義的文書をたき火につっこんでいるチベット人たちを写した、原寸大ジオロマを持ってきたこの広大な展示の文章には「歴史は正義を下すだろう」と書かれている。「この50年の発展で、チベットは暗闇から光に、貧困から裕福に、専制君主から民主主義に、隔離から解放に移行した」。

    西側の学者たちは中国政府の解釈する歴史に抵抗し、チベット人亡命者グループは共産党を制圧的な占領者としてとらえるが、そのような反対心情は、公表基準にのっとって作られた公式の教科書やテレビや新聞の情報を、長い間吸収してきた一般の中国人には通じにくい。

    電気関係のセールスマンで天津からやってきたDai Zhirongは火曜日に展覧会を後にしながら、彼が展覧会で見たものはダライ・ラマへの軽蔑やチベット人に対する失望をただ再確認しただけだ、と言った。「なぜ彼らが我々の食べ物を食べながら、我々を嫌うのかが分からない」 テレビでこの展示会のプロモーションを見て、やって来た57歳のDai氏は言った。「真実を説かれ、分離主義者たちがなにをしようとしているのかを見ると、私も彼らを嫌いになるだけだ」。


    泥の中の蓮になる

    日本の日蓮宗のお坊さんと電話でお話しした。

    南無妙法蓮華経、についてとか。
    その中で、泥の中に蓮(ダルマ=ブッダの教え)を咲かせる、
    と彼が言ったことが頭に残った。

    世界は残酷だし、厳しいけれど、そこに立って生きている私たちひとりひとりが
    その状況を手にくみとり、行動を定めたり選択し、発動することができるということ。
    それができるようになるまで、時間がかかるし(年をとる)
    できるようになると、苦しみから離れていくということ。
    でも、逃げることではなく。

    中道の深み。

    中道にはいくつかのレイヤーがあり、
    その深みには慈悲が深まるとすんなりと、いけること。
    でも、それが難しかったりする。

    いま、私の中で、そういう変化が道のりの中でなんとなく見える時期にある。

    その変化を確認できたら、見えないが支えてくれるエネルギーに
    感謝をしなさい、と彼は言った。
    そうすることで、もっと支えられる、ということ。

    祈るかたちである合掌は印と同じで、
    それをすることで、肉体のエネルギーの動きがかわり、
    魂と直結するというか、「祈りやすく」なるらしい。

    こういう時期に、色々な縁でつながり、見えない相手と深い会話をするのは
    これも縁なのだろう。

    ほんとうの感謝はかたちで表せないが、
    心に広がるあたたかいエネルギーこそが、とも思う。

    そういう渦のなかにいることが、生きることだ。

    甘孜(カンゼ)での出来事

    Protest in Kardze a year after 2008 unrest
    2008年騒乱から1年後の甘孜(カンゼ)での抗議活動
    Phayul

    ダラムサラ、3月14日

    3人の若いチベット人たちが甘孜で中国政府への抗議活動をした後に逮捕された。これは、去年の3/14にはじまりチベット中に広まった抗議活動からちょうど1年のこと。ボイス・オブ・チベットがレポートした。

    情報筋はベルギーからであるとし、ボイス・オブ・チベットは、ダワ・ツェリン(25歳)、ドンドゥップ(24歳)、ロブサン・ニャンダック(25歳)は「ダライ・ラマ万歳!」「チベット中の政治囚に釈放を!」「ダライ・ラマのチベット帰還を許可せよ」そして「チベットに独立を!」とスローガンを叫んだ後に、激しく暴行されたと伝えた。

    3人は、甘孜の人民病院の前にある新刑務所に連行された。彼らはまた、ダライ・ラマ法王の長生とチベット問題のすみやかな解決を祈り、チベットの祈りの旗を結んだという。

    3月11日の別の事件では、甘孜はロパ区で3人のチベット女性が短い講義活動をし、暴行され、人民病院前の刑務所に連行されている。情報筋によると、3人はチョツォ(17歳)、ツェテン・ラモ(17歳)、そしてツェリン・ラモ(17歳)として身元が判明されている。

    3月12日木曜日にはひとりのチベット人が道ですぐに逮捕される前に、抗議活動をしたという。

    2009年3月14日土曜日

    "世界の目からチベットを閉ざす中国"

    China Closes Tibet to foreign eyes
    世界の目からチベットを閉ざす中国

    英紙テレグラフ より
    posted by Malcolm Moore at 3/11

    「外国人ジャーナリストは自由に取材活動をしてもいい」とオリンピック後に中国が約束したにも関わらず、当局はチベットだけでなく、チベット人居住区のある西中国の一部を閉鎖した。

    ダライ・ラマ亡命から50年の記念日ということで、中国は地域の絶対的なコントロールをしたがり、2月末には全ての外国人のチベットへの立ち入りを禁じた。中国政府は、チベット周辺の甘粛省、青海省、四川省もレポーターたち(そして他の外国人)から閉ざすことを決定した。

    これが、中国の外国人記者クラブから発表された全文だ:

    中国の外国人記者クラブは中国政府に、広がりつつあるジャーナリストの拘束を今すぐ止め、チベットをニュースのカバー対象として開放することを要求する。

    去年のチベット暴動から1周年がたとうとする先週、甘粛省、青海省、四川省のチベット人居住区に立ち入ろうとした、少なくとも6つのニュース会社のレポーターが拘束され、突き返され、または、テープを没収されている。

    これは外務省が2008年10月に作った規則:「外国人レポーターはチベット自治区の外なら、先に申請許可を取らずに自由に旅行ができる」という規則に反している。

    NYタイムス紙の二人のレポーター、Edward WongとJonathan Ansfieldは人民軍警察のメンバーと甘粛省の公安局によって2/27から20時間の間、拘束された。その後ふたりは、蘭州(甘粛省の省都)に宿泊を脅迫され、翌日には北京ゆきの飛行機に乗せられた。Wongが拘束した人物の写真をとろうとしたとき、彼は腕をつかまれ、カメラを壊された。二人と一緒に同時期に旅行をしていた日本人と、地元の運転手も同時に拘束された。運転手は尋問と恐喝の対象となった。

    3/9、イタリアのANSAニュース・エージェンシーのBeniamino Nataleと二人の同僚は僧院を訪ねた後、青海省のGuinan郡で2時間以上拘束された。その前日には、スペインのテレビ局TVEのプロデューサー Isabel Hormaecheと彼女のクルーが四川省は甘孜で警察により拘束されている。そして彼女たちは200キロさきまで同行されて、追放された。

    同じ頃、フィンランドテレビ局の Katri Makkonenは貴州省から青海省までの道で、何度か拘束を繰りかえされ追跡されている。警察は彼女の運転免許書を没収し、さらに彼女がどこで何をしていたかを説明する調書を書かせた。Makkonenは「我々を立ち去らせるわけにはいかないから、私たちといた中国人に圧力を加えたのは、卑怯だ」と言った。

    共同通信のレポートによると、同社のジャーナリストたちは最近四川省で2回拘束された。中国の外国人記者クラブでは甘粛省の夏河で1月末、記者たちが追放される3件のレポートを受け取った。

    それらの警察の行動の法的な説明は全くされていない。

    「このような拘束はすぐに止められなければならない」中国の外国人記者クラブの会長Jonathan Wattsは言う。「このレポーターたちがチベット自治区のチベット人居住区を訪ねるのは、彼らの権利内でやっていること。レポーターたちを拘束したり、追放したりすることで、治安部隊が自らの行動に疑念を持たせている。政府は、チベット自治区や他のチベット人居住区を含む中国全土を開放するという約束を果たすべきだ」

    以上テレグラフより

    なにをそんなに隠したいのか? ー これにつきると思う。

    2009年3月12日木曜日

    いろいろ

    うちのインターネット、温水、ヒーター、電話が通じない。
    昨日からずっと。

    インドへようこそ。

    Time Warner によると、昨日修理をしようとしたが、
    問題のある場所にアクセスができず。
    ふざけるなー!



    というわけで今日はカフェから。



    一昨日のせようとしたチベット運動を監視する中国領事館写真。
    これはワシントンDCでの3/9のプロテストで友人が撮ったもの。





    ほら、ビデオでプロテストを撮影するCowardsが!



    少し近づいてみる。


    撮っています。
    いつものことです。
    こちらも、撮りかえします。
    NYでは中指を立てる領事館員もいますが、
    最近は建物からではなく、
    外に出てきて堂々とプロテストにいる人たちを撮っています。



    福島香織さんのブログで記事を書いて頂きました!

    チベット特集:雪の下の炎は消えず①

    チベット特集:雪の下の炎は消えず②

    インタビューの裏話もありです。

    福島さんのブログ、果敢にもコメント欄が開けられている。
    これを読むだけでも、大まかに言えば、
    ネット社会、中国政府、それと関わる日本のブラックホールを感じる。

    それに負けない福島さんは本当に素晴らしい。心から応援しています!



    税金申告の準備をしなくては

    2009年3月10日火曜日

    March 10 + Ngawang Sangdrol la's speech

    まだ耳に木霊する数千人の声!


    今日のマーチはマサチューセッツ、フィラデルフィア、ペンシルバニア、
    ニュージャージー、ニューヨーク、コネチカットなどから
    およそ3500人もが参加したという!



    ほとんど全員がおそろいの白いTシャツとTYCの皆とボランティアが
    寝ずに作った黒い旗を持って町中をスローガンを叫びながら闊歩。

    まずはチャイナタウンだー。ほかにどこがあるー?



    これだけ集まると、中国の方々もさぞかし、びっくりしたことだと思う。
    みんな端のほうによって、見ている。

    そしてタイムス・スクエア!



    WHAT DO WE WANT? FREE TIBET! WHEN DO WE WANT IT? NOW!


    ブルックリン・ブリッジ、チャイナ・タウン、42丁目イーストサイドの国連本部から
    タイムス・スクエアを横切って街を縦断して、反対側のウエストサイドの川に面した中国領事館、
    そしてユニオン・スクエアへ。

    ものすごく寒かったけれど、がんばったよ。
    途中にボランティアの人が作った大量のサンドイッチとバナナとお茶の差し入れも。
    ほとんどの人は仕事を休んで参加していた。

    今日、国連での集会でスピーチをした、あるアメリカ人女性がいた。
    彼女は去年英語を教えるため、チベットにいた。
    そこで急に暴動がはじまり、中国政府に身柄を拘束された。
    そして携帯電話、コンピュータ、鞄の中身もぜんぶチェックされ、
    アメリカ大使館に連絡もとれない状況にあった。

    事件が。
    持ってもいなかったチベット国旗が所持品から発見され、
    法を守らなかったから、チベットから強制送還されるという。
    旗を彼女の鞄に入れたのは、明らかに、中国側がやったことだった。

    帰り際には「罪を犯した」という文章に強制的にサインさせられ、
    その国旗を持って写真を撮られた。
    彼女はその衝撃的な話を一気に話し、こう言った。

    「このプロテストにも中国側のスパイが必ず何人かいるはず!
    そして参加した人の写真を撮っているのよ。そんなことは分かっている。
    でも、あなたたち、よく聞きなさい!
    そんなことがチベット人を怖がらせると思ったら大間違いなのよ!」

    ここで、大きな声援が。
    そう、それがたとえインド、ネパール、あるいはアメリカの亡命地でさえ
    中国政府はスパイを送り込み、チベット運動を監視している。
    逃げも隠れもしないチベット人をそっと見ているのだ。
    (あ、後日、それに関する写真をアップロードします)

    あれだけの経済大国が、こんなに「せこい」手段で人々を脅すなんて。
    でも、そうなんだよね。
    彼らは共産党政府の力を守るため、人民の反乱を一番恐れている。
    だから、いつもその動向を見守って、社会風潮を
    徹底的にコントロールしている。

    とにかく、、、

    ここでプロテストから帰ってきて、がんばって字幕を入れてアップした
    このビデオを見てください。

    パルデンと同じ良心の政治囚人のひとり、ガワン・サンドルさんの
    今日のユニオンスクエアから、素晴らしいスピーチ。

    彼女は細い細いからだに、とてつもない精神力と勇気を持っている。
    真のヒーローです。

    彼女の説明はここで:http://www.tibethouse.jp/human_rights/nsandol.html

    もっと詳しい説明(英語):http://www.savetibet.org/action-center/ngawang-sangdrol

    彼女の本はこれ:http://www.transview.co.jp/06/top.htm

    スピーチは「私の名前はガワン・サンドルです。家族は兄も父も政治的活動をし、
    囚人になっていました。そのせいでしょうか、私も「フリー・チベット」と叫んで
    平和的に抗議活動をしたことで、投獄されました」という最初の部分が抜けていますが、
    見てください。

    凛とした美しい横顔と、その声。









    FREE TIBET NOW!

    2009年3月9日月曜日

    ロンドン「雪の下の炎」スクリーニング

     photo by 若松えりさん

                                                                                              

    とりあえず、ロンドン2日滞在の強行軍から帰ってきました!

    今回のスクリーニングは、チベットサポートグループの中の老舗である
    「チベット・ソサエティー/チベット・リリーフ・ファンド」が取り仕切ってくださいました。
    なんと、チベット・リリーフ・ファンド=チベット・ソサエティー(多少ややこしいが)
    1959年にダライ・ラマ法王が亡命されたあと、沢山のチベット難民がインドに来たときに
    それをサポートし、国連などにも呼びかける為にできた団体だそうです。

    ロンドンでは連日、マーチ、お祈りの会、マス・ロビイなどが行われ、
    チベットサポートグループの人たちはとても忙しそうでした!
    ロンドンのチベット・サポート・グループはFree Tibet、SFT、Tibet Associations、
    とか沢山あるけれど、本当に横のつながりが強く、お互い協力し合って
    最大の力を発揮しているのが、すごく良かった。
    これは正直言って、他の国ではあまり見なかった光景でした。

    7日のマーチのあと、久々にパルデンと再会。
    寒そうにしていたので、お茶を師匠に持っていきました。
    一番心に残ったのは、中国民主化活動家のシャオ・ジャンさんのスピーチ。
    ある中国人ブロガーの方のブログを引用して
    「チベットの人たちに自分が中国を代表して謝りたい」と。
    最後にパルデンとあたたかい笑顔を交わしていたのが印象的でした。

    ラリー後は、長年チベットサポートをロンドンで精力的にされている重鎮
    若松えりさんにお会いしました。

    「チベット人だと思った、日本人だと思わなかった!」

    あまりにもチベット人によく言われる(チベット内でもそういわれた)ことを
    日本人の方から言われたのははじめて!
    私はネパールに行けばネパール人と、NYではマレーシア、ベトナム?と言われます。

    それはおいといて。

    とても明るく、そして思慮深く、優しいえりさんと
    8日に沢山の時間を一緒にすごさせていただきました。
    車で来てくださって色々連れて行っていただいたり、チベット関連のことなどを
    ずーっと話していました。
    ロンドンのグループは団体同士で団結が強いのがすごい!という話をしていて
    えりさんは、本当はそうあるべき!同じ目標に向かって動いているのだから、
    やはり協力し合う姿勢が大切!と言っていて、本当にそうだよ、と思う。

    べたべた仲良くする必要はないが、同じ目標を目指しているということで
    チベット人のグループも外国人のグループも結束を強めたら鬼に金棒だよ。
    中国政府は仲間割れをしてほしいわけだからね。

    さて、今は10日朝6:30です。

    NYではブルックリン・ブリッジーチャイナタウンー国連本部ー中国領事館ー
    ユニオン・スクエアという距離をマーチ。

    すごーい距離です! また、声をなくす人続出でしょう!

    2009年3月8日日曜日

    "Bloody incredible"





    ロンドンにいます。
    タイトルの言葉はわたしの意見ではなく、今通りすがりの人が叫んだ言葉。

    パルデンと久々に会ったり,スクリーニングがあったり。

    チャールズ王子の名前を冠した劇場はチャイナタウンにあるらしい。

    空は青く寒い。

    色々な意味で脳がパンク気味だが、
    長年の修業を活かし(?)
    任務遂行。

    色々気にせず目の前を見て、
    その時にできる事をやる。

    頑張ろう、わたし。



    2009年3月6日金曜日

    時差

    時差で朝5:30に目が覚めた。



    町中を走り回り
    午後7時には沈殿。



    今起きて、少し食べた。

    また、寝ます。

    すいません。

    2009年3月5日木曜日

    記事 (Searchina)

    映画「雪の下の炎」−チベット民族の誇りを呼び覚ます季節

     今年の3月10日はチ ベット民族蜂起の50周年。中国では動乱とされ、これを制圧してチベットを封建農奴制から解放したという。だがチベット人は中国共産党からダライ・ラマ 14世を守るために命がけ立ち上がった民族の誇りを呼びさます季節という。普段、歴史の恨みと独立への思いを胸の奥にしまっておとなしく生きている人たち も、小さなきっかけで、激情をほとばしらせることがある。昨年の3月14日のように。

      チベット問題について外国人がなにかを言うと、 中国人はたいてい内政干渉だと怒る。無責任に扇動するなと。私も実は、自分自身が日本という安全な国にいるのに、チベット人の気持ちをさも分かった風に 言ってよいのだろうかと後ろめたさを感じることがあった。また、ダライ・ラマを忘れて繁栄の階段を順調に登る中国とともに市場経済の恩恵を受けて暮らす方 が、かなわぬ独立を望み流血を呼ぶよりよほど建設的ではないか、とも思った。

      だが、そういう疑問に対して、最近出会った人が明快に答 えてくれた。ニューヨーク在住の若き女性ドキュメンタリスト楽真琴さん。33年間政治囚として投獄され、あらゆる拷問に耐えて生き抜き、今もチベットの自 由のために命がけで自らの体験を訴えている不屈のチベット僧パルデン・ギャンツォ師(78)のドキュメンタリー映画「雪の下の炎」を制作。昨年のトライ ベッカ・フィルム・フェスティバル(NY)でプレミアム上演され、高い評価をえた。ちょうど日本でも今春上映されるということでプロモーションのために帰 国していた。

      彼女はパルデン師の精神力と寛容さに魅せられ約4年かけて取材し、死を覚悟した2006年トリノ冬季五輪でのハンガース トライキの現場も見てきた。ダライ・ラマ14世にも直接インタビューし、チベットの精神というものを肌で感じてきた人だ。その彼女のフィルムには、鍛え抜 かれた鋼のような強靱で美しい独立への祈りが映し出されていた。いかなる身体的苦痛をも乗り越えほほえむことができるというチベット仏教の真髄が独立の希 求の中にあった。

      「チベット独立は外国人だから言える、言わねばならないメッセージ」と彼女は断言した。ダライ・ラマ14世自身が独 立をあきらめ自治を主張している以上、チベット人の大多数はそれに従おうとするし、厳しい弾圧と統制と“学習”の結果、独立という言葉を自ら封印する人も 多いだろう。だが傍観者にすぎない外国人は、それを言葉にして言ってもいい。心の奥底に封じ込めた気持ちを分かっているのだ、と伝えるだけで、小さな希望 の炎は永遠に溶けないかもしれない万年雪の下でも燃え続けることができるのだ。

      楽真琴監督「雪の下の炎」はアップリンク配給で3月10日、13日にプレミアム上映会が行われる。写真はイメージ。(執筆:中国ウォッチャー 三河さつき)

    2009年3月4日水曜日

    New York 写真





    NY

    帰りました。
    寒いです。0度だそうです。



    中国の人民大会がテレビ中継されている。
    温首相は強気な経済回復策をアピールしている。
    失業者数も実は言われている倍はあるかも、と分析されていた。



    その裏ではNYタイムスで
    「民族蜂起運動から50年、チベットにおける取り締まり」
    というタイトルでニュースが。

    去年の暴動から1年、来週の民族蜂起50周年を前に控え、
    非公式の戒厳令が当局によってチベット中にひかれた。
    最悪の状態に備え、四川大震災以来の大規模な軍が配備されている、という。

    最近チベットに侵入して、拘束され、送還されたジャーナリストによる写真も。
    厳重な軍配備の様子は去年の暴動を思い出させる。

    時差ぼけなので、訳さないが、
    ニュースは以下のように占めくくられている。

    チベット人たちは来週の民族蜂起記念日には何が起こるか想像がつかない、
    と言っている。
    先週ダライラマは、中国人たちによって挑発されないように。
    もし、過激な行動を起こせば中国政府に厳しい制裁を加えられる
    口実を増やすだけだ、とチベット人たちを促した。

    「命を犠牲にすることで、意味ある結果は得られないだろう」彼は言った。


    2009年3月3日火曜日

    雑感

    滞在最後の日。
    雪。



    チケット完成!

    日本の映画のチケットの前売り券は美しい!すばらしい!

    だが、束を数えるの大変だったよ。

    その点、アップリンクの神田さんは天才的にうまかった。
    さすが。



    父がコピーしてくれたオスカーのDVDを見る。

    私としては俳優賞でショーン・ペンが賞をもらったのは不本意だったが
    でも、MILKでの彼の演技はたしかに素晴らしかった。
    Kate Winslet のスピーチに目頭が熱くなる。
    「パパ、この場にいるはず、いたら口笛を吹いて!」

    ミッキー・ロークのThe Wrestlerはプロレス映画ではなく
    素晴らしい人間ドラマです。先入観をもたずに多くの人に見てほしい。
    ミッキー・ロークが這い上がったこと自体がこの映画の内容とつながっていて
    これはある種ドキュメンタリーに近い。



    イタリア語の翻訳をやってくださる方が見つかりました。

    色々な方に投げていたのだけれど、皆さん熱心に探してくださっていたのですが、
    どうしても今夜中に定まらないと、私の胃は痛む一方になるところだった。

    やってくださる方とは奇跡的な縁でつながった。
    チベットサポート、あるいはサポーター関係では本当にこういうことがある。

    素晴らしいエッセイになると思います。
    (あ、これは映画の公式サイトのあるイタリア人の方からのエッセイの翻訳だったのですが)



    何かは分からないが、
    大きなうねりに心から感謝。

    2009年3月2日月曜日

    東京

    昔は東京に帰ると、社会的な流行やその背景が
    手に取るように把握できていた気がする。
    最近は、だめだ。

    人の心のあり方のみだけが見えて、
    その他の社会学的な部分がだんだん見えなくなってきた。

    例えばお店にいっても、そこにどういう人々がやってくるのか、
    それはどういう社会的配置の店なのかが、だんだん分からなくなってくる。

    群層心理がよめない。

    プロモーションをやりにきているというのに、これはヤバいかも。



    本日はプロモ最終日でしかも絶頂(なにが?ーいや、カフェイン摂取量が)。

    5本のインタビューとプレス試写会。
    プレス試写のほうには、こんどSongs for Tibet日本版をプロデュースされた
    ミュージシャンのハイスタンダードの難波さんがいらして下さって対談を。
    すごく純粋で優しい方。
    最近まで沖縄に8年間住んでいたのだそう。
    東京が彼を彼でなくしたから、リセットをしに行ったのかな。
    リセットされたとおっしゃった。



    ええと、DVDにつける撮影裏話的映像-Behind the Scene-を小出しに
    ブログなどで出そうと思う。
    初めてパルデンに会ったときの様子や、旅の様子、クルーの様子など。

    ということは、また机の前に座るということだー。

    帰ったらもっとヨガをせよ、わたし!

    2009年3月1日日曜日

    イタリア語翻訳を出来る方、いらっしゃいますか?

    突然ですが、みなさま!

    いま、イタリア語から日本語への翻訳を出来る方を大急ぎで探しています。

    映画関連/チベット関連の文章を訳して頂きたいのですが、

    ご存知のかたは、一度、メッセージをいただけると嬉しいです。
    よろしくお願いしまーす!!

    「彼女の名はサビーヌ」

    映画『彼女の名はサビーヌ』


    毎日新聞仙台支局、藤田祐子さんとのインタビュー後、
    友人と一緒にアップリンクでやっている映画「彼女の名はサビーヌ」を見る。

    フランス人女優サンドリーヌ・ボネールが自閉症の妹を撮ったドキュメンタリー。

    自閉症とはなにか、という教育ドキュメンタリーではなく、
    愛をもって人間を撮るという行為が集結された美しい作品。

    そしてレンズを向けられた対象人物(サビーヌ)がそれを返す。
    ただ、ふつうとは違うやり方で。

    カメラがトレースする瞬間瞬間の表情や動きを見ていて、
    わたしは「愛のかたち、表現」、ということをずっと考えていた。
    私たちとそのかたちが違うだけ、と。

    だから、決して言語化して翻訳することはできないけれども、
    微妙なニュアンスでパニックしてしまうとか、
    そのこころの動きが見える気がした。

    そのまなざしや、訴える愛の、いたいたしさが
    人類の奇跡そのものだと思った。